インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

英語独習法

こんな泥臭くて面倒な「語学」という営みに、全国民が小学校からなかば追い立てられるように狂奔していていいのだろうかーー。語学業界にいながら、私はそんな疑問が常に頭を離れません。ですから、この本を読み始めてすぐにこんな記述があり、おもわず「その通り!」と叫びました。

英語学習を始める第一歩は、自分が必要な英語はどのようなレベルなのかーーつまり英語学習で達成したい目標ーーを考え、自分はその目標達成のためにどこまで時間と労力を使う覚悟があるかを考えることだろう。(中略)ゴールに応じて、そのレベルに到達するための合理的な学習の仕方を考えるべきなのである。AI(人工知能)による自動翻訳の性能も向上してきている。翻訳ソフトですむレベルを目標にするなら、わざわざ多大な時間をかけて英語を勉強するより、英語は翻訳ソフトに任せて、自分は他のスキルや知識を磨く、という選択肢もありうるのではないか。(15ページ・強調原著)

認知科学の知見をベースに、楽しみながら合理的に英語を学ぶ方法を紹介する一冊です。「楽しみながら」とはいえ、どちらかというと英語を学術研究やビジネスの現場で使うことが求められる上級者向けのアドバイスが中心ですが、初中級者にとっても、また英語以外の言語を学ぶ人にとってもきわめて有用な本だと思います。

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英語独習法 (岩波新書 新赤版 1860)

主要な柱は、日本語母語話者が英語をそこそこ使えるレベルにまで上達させるのはそう簡単ではない(それ相応の努力と工夫が必要)という主張です。それを実現させるために、英語の母語話者が持っている「スキーマ」をいかにして(その一部でも)獲得していくかについてのさまざまな学習法が紹介されています。

スキーマとは「ある事柄についての枠組みとなる知識」。母語におけるスキーマは本人にもほとんど意識されません。「意識にのぼらずに、言語を使うときに勝手にアクセスし、使ってしまう」ようなものです。しかしそれこそが、非常に複雑で豊かな言語使用を可能ならしめているものなのだと。そして外語を学ぶ際に干渉してくるのもまた自らの母語スキーマであるのだと。

例えば私たち日本語母語話者は「てにをは」の使い方についてほとんど意識することなく、しかも間違いなく使いこなせるわけですが、日本語を学んでいる留学生のみなさんにとっては最も苦労する点の一つです。逆に私たちは英語やその他の言語で非常に重要な位置を占める「可算・不可算」の概念がきわめて薄いために苦労する、また日本語では取り立てて区別しない「LとR」の聞き分けや言い分けについて苦労するといったことが起こる。

私が中国語を学んでいて一番難しく奥深いと思うのは、発音もさることながら、語と語のコロケーション、中国語で言うところの“搭配”です。この語にはこの語が結びつきやすい、あるいはこの語とこの語はまず結びつかない、さらにこの語はこのシチュエーションではふさわしいが、別のシチュエーションでは似つかわしくない……。ひとことで言ってしまえば「語感」とも言えるようなスキーマがじゅうぶんに備わっていないのです。

母語話者なら意識せずとも駆使できる語感を身につけるのが容易ではなく、そのために十何年も費やしてきたようなものです。仕事にした以上、仕方がないのですが。こうした語感は、大量にインプットとアウトプットを繰り返さなければ身につける(スキーマとする)ことはできません。語学の大変さはこういうところにあると思います。そして冒頭で書いたように、こんな泥臭くて面倒なことに一生のかなりの時間を捧げていいんですかと問いたくなるのです。

この本の冒頭にはまた、こうした語学の現実を無視して世間にはびこる安易な考え方を容赦なく切って捨てる記述もあります。

ほとんどの人は、自分は忙しいから、最短の時間で、最小の努力でプロフェッショナルレベルの英語力を「マスターする」方法を見つけたいと言う。しかし残念ながら、日本語母語話者が簡単に、片手間の勉強で、プロフェッショナルレベルの英語を習得することは無理である。(中略)ただし、時間がない人は英語の学習をあきらめたほうがよいと言いたいわけではない。努力をせず、時間もかけずに「プロとして通じる英語」が習得できる、という思い込みをまず捨てるべきだということを言いたいのである。(14ページ・強調原著)

たぶん語学を教えたことがある方なら、それも「一週間でペラペラ」みたいな宣伝文句を弄さずまっとうに教えた(そして自らも学んできた)ことがある方なら、身を乗り出して「そう、そう!」と叫んでしまうと思います。私も叫びました。叫んでばっかりですね。ほかにも「多読や多聴よりもまずは語彙量の増強」、「日本語では名詞中心に文が発想されるが英語は動詞と前置詞が中心」など、叫びたくなる項目がたくさんありました。

追記

この本で唯一「ちょっと寄り道」として挿入されている一節が「フィンランド人が英語に堪能な理由」というもので、とても興味深いエピソードが紹介されていました。それはフィンランドにおける英語教育は「文化的な必要性と、教育政策と実施の仕方が理にかなっている」(それも認知科学的に理にかなっている)というお話です。具体的には複雑な文法よりもまずは語彙を増やすことを重視すること、教科書では平易でシンプルな単文を使って日常的な状況で使える文法を繰り返し学ばせる(複文や関係節などはほとんど出てこないとか)こと、などが紹介されていました。

いま学んでいるフィンランド語の教科書も、既習の語彙や文法事項がテーマや形式を変えて何度も繰り返し出現するように設計されていて、その巧みさが素晴らしいなあと思っていたところです。なるほど、フィンランドの語学教育全般に、こうした科学的で合理的な知見を生かす配慮がなされているのかもしれません。

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以前フィンランドにおける英語教育を紹介する本を読んだのですが、教育システムやカリキュラムの特性については説明されていたものの、言語的な背景や語学学習の技術としての「なぜ」がほとんど書かれていなかったために隔靴掻痒感を味わっていました。でもこの本では、わずか8ページほどでそれが簡潔に紹介されていました。とても納得感のある小論でした。

qianchong.hatenablog.com