インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

人体大全

宇宙に関する本を読むのが好きです。といっても一般向けの入門書しか読んだことはありませんが、人類が宇宙の実態を解き明かそうとして営々と積み重ねてきた努力の歴史をたどり、それでもその結果として宇宙に関するかなりの部分が「まだよく分かっていない」という事実に、変な言い方ですが「救われる」思いがするのです。

想像を超えるほど巨大で広大な宇宙のことを考えると、自分がいまここで生きていることなどほんのちっぽけなことのように思えてきます。それが私にはある種の福音のように思われるのです。日々の暮らしは小忙しく、胸ふたぐ思いをすることも多いですが、そんなこんなで淀んだりわだかまったりしている自分が馬鹿みたいに思えてくる。

宇宙の極大と自分の極小との間の振幅があまりにも大きすぎるがゆえに、宇宙に関する本を読んでいると、なんだか壮大な「肩透かし」をくらったように感じます。自分の中で高まっている無益で無用な圧力をプシュッと抜いてくれるような作用があるのです。

今回読んだ『人体大全』はその自分のさらに内側の極小世界を「大全」の名にふさわしく詳述してくれる一冊ですが、宇宙に関する本を読んだときと同じような感覚を味わいました。宇宙とは逆のベクトルで、ちっぽけな自分と、その自分の中にある極小の世界との間の振幅がこれまた大きくて、宇宙のことを知る時同様に興奮するのです。そして「実はまだよく分かっていない」という点があまりにも多いという点でも宇宙と人体はとてもよく似ています。

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人体大全―なぜ生まれ、死ぬその日まで無意識に動き続けられるのか―

この本の原著が書かれたのは、今次のコロナ禍の直前だそうですが、それでも感染症を扱った項にはまるで現在を予見するかのような記述があります(追記された短い「あとがき」ではコロナ禍についても触れられています)。

コロナ禍によって、普段は自分の身体や健康について、あるいは死について漠然としか意識していなかった私たちは、否応なしにより真剣に向き合わざるを得なくなりました。なのに人体に関するあれこれがここまで「実はまだよく分かっていない」というのでは、思わず絶望しかかるところです。が、私はここでも、宇宙に関する本を読んだときと同じような、一種の開放感にも似たよい意味での脱力感を覚えました。

結局のところ、どんなにあれこれ手を尽くしても、身体と生命に関するリスクについて私たちができることとしては、「健康的な食事を取り、少なくとも適度に運動し、健全な体重を保ち、まったくタバコを吸わず、酒を飲みすぎない(481ページ)」に如くはない……という「諦念」を呼び起こされられるからです。

それは別に何もかも諦めて享楽的に生きればいいという意味ではなく、これだけ、宇宙にも匹敵するくらい複雑で謎ばかりの人体だからこそ、淡々とその日その日をていねいに生きていこう、それくらいしか自分にできることはないという心境です。なんだか信仰めいていますけど、この本を読んであらためて感じたのはそういうことでした。

蛇足ですが、読書猿氏のあの『独学大全』がヒットして以降、書店には『○○大全』と銘打った書籍が沢山登場しています。この本の題名もその流れにあやかったものかなと思いましたが(原題は《The Body: a guide for occupants》)、これはまさしく大全の名にふさわしい浩瀚な一冊です。以前NHKで同様のシリーズ番組をやっていましたが、テレビ番組ではかなり情報が限られるところ、この本でははるかに豊富な知見が披露されていて、とことん楽しめます。