インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ライティングの哲学

「書くのが苦しい」とおっしゃる4人の執筆者による『ライティングの哲学』を読みました。タイトル通り、書くことの苦しみから導き出されたそれぞれの「哲学」が語られていて、その哲学的思考の末にそれぞれがそれぞれの「書くことに対する諦念」みたいなものにたどり着いているのが興味深い一冊でした*1

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ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論 (星海社 e-SHINSHO)

それにしても4人はそれぞれ、形式や量の多寡は違えども執筆を生業にされている方々ばかりで、そんないわばプロの書き手がその文章の後ろでこんなにも苦吟されていたとは。でも、比較するのも大変おこがましいですけど、私も毎日こうやってブログを書いていて、書けない悩みと、書けたときの楽しさの両方を日々味わっているので、「そうそう!」と共感のあまり付箋を貼るページがたくさんありました。

いろいろな至言があるのですが、とりあえずは読書猿氏(あの『独学大全』の著者ですね)のこのひとこと。

外部化されない思考は堂々巡りを繰り返す。思考は外部化のプロセスではじめて線形化し、繰り上がる。(155ページ)

本当にそのとおりなんですよね。人にもよるかもしれませんが、頭の中であれこれ考えていても思考はいっこうにまとまらなくて、ましてや文章にまとめることなどできそうにないと思ってしまいます。でも、外部化、つまり書き始めてみると、次から次へと思考が自分の中から引きずり出されて文字の上に定着されていく……常にそうではないけれども、そういう時が確かにあります。文章を書きながら「ああ、自分はこういう事を考えていたのか」と気づくこともありますし、時には自分でもそれまで考えてもみなかったような結論に行き着くこともあります。

このブログでも何度か引用していますが、コラムニストの小田嶋隆氏がある講演で「文章を書いているときの自分は、普段よりちょっと『頭がいい』」というようなことをおっしゃっています。これもつまりは、文章を書き出してみてはじめて、自分の思考がより明晰になるということなのでしょう。「書くことの効用の一つは、その文章を書かなければ一生気づかなかったような自分の内部が出てくるところにある」というようなこともおっしゃっていました。

たしかに、文章を書き出してみると、自分の中からどんどん言葉が湧き出してきて、結果的に「なんだか知らないけど、こんなものが書き上がっていました」ということがあるんですよね。これも「いつも」ではなく「たまに」なのが文才のない人間の悲しいところですが、こんな私でも年に数回はそういう「こんなん出ましたけど〜」みたいな瞬間があるのです。

私はいまの職場でけっこう文章を書くことが多くて、それは自分が職場に提出する、あるいは職場が「お上」に提出する報告書のたぐいがメインなのですが、ああいう文章は私、書き始める時にほとんどストレスを感じることなく、かついくらでも書きついで行くことができます。この本でも瀬下翔太氏が「町役場に提出する事務的な文書をつくるときには、それほど苦労しない(24ページ)」とおっしゃっていました。同僚からは「モスラの幼虫みたい」と言われますが、ああいう魂のこもっていない文章(ここだけの話……)ならいくらでも書けるというのが、書くことの本質の一端を示しているように思います。

つまりは、自分の中から本当に湧き出してきた言葉、しかもそれを誰かに伝えたい(その誰かは時に自分自身でもあります)と本当に思える言葉は、やはり紡ぎ出すのに多少のストレスがかかり、紡ぎ出すためのその人なりの技術やコツみたいなものが必要なんですね。どうせこんなもの誰も読みゃしないんだから(ええ、ここだけの話です……)というシチュエーションであれば、それこそ蚕が糸を吐くようにスルスルと文章が書けちゃう。実際の蚕さんは蚕さんで身を削っているのかもしれませんけど。

とまれ、「書くのが苦しい」と思えるような文章を書くことは、自分の心の中(つまりは思考)を見つめ、それを外部化することで自分から切り離して客観視し、そこで感じたことがまた自分にフィードバックされてきて、新たな自分への活性化を促す……そんな営みであるという確信のようなものを、この本を読んで得ることができました。私はブログを毎日書くことを「ボケ防止」だと思って、今日まで1300日あまり続けてきたのですが、文章を書くことは単に「頭を働かせて文を書くから脳に良い」といったような単純なものではなく、もっと深い「効能」があるのだと確信したのでした。

余談ですが4人のみなさんは文章を書く時にそれぞれお気に入りの「アウトライナー」を使ってらっしゃるそうです。アウトライナーとは「文書の全体の構造を階層的に作成・編集し、また細部を加筆・編集する形式を取る文書の作成ソフト・ツールです(17ページ)」とのこと。この本自体が、最初はこのアウトライナーをそれぞれがどう使っているのかを紹介し合うという企画から始まったそうです。

私は恥ずかしながらこの「アウトライナー」というものを初めて知りました。これまで書いてきた文章はすべてパソコンにデフォルトでついている「Word」や、ブログだったらブログの編集ページに直接書き込んで、最初から最後まで仕上げてきたのです。仕事での何十ページにも及ぶ文書でも「Word」一本。でもプロの書き手のみなさんはもっとさまざまなツールを使いこなして豊かな内容を持つ文章を紡ぎ出しているんですね。「Word」を使うのは、書き上げてから体裁を整える、あるいはクライアントの要求に従って(Word形式で送れ、というクライアントが多いよう)という、納品直前の一瞬だけなんだそうで。

とにかくぼくはWordからできるだけ離れたい人間で。あれは発狂するんですよ!(36ページ)

わははは。確かに! Wordもそうだし、Excelも発狂します。あんなに使い勝手の悪いもの(そしてちょくちょく「いらんこと」してくるもの)はありません。なぜいままで我慢して使ってきたのかなあ。私もアウトライナーの使い方を研究してみようと思いました。

*1:ちなみにこの本、人気のためか現在のところAmazonなどネット書店では品切れ状態になっており(Kindleなどはすぐ買えます)、そこに便乗した業者が新刊を法外な値段で売っていたりします。それで所用で新宿に出た折に紀伊國屋書店でようやく平積みを見つけて購入した次第。