私は詩というものが分かりません。いや、唐詩や宋詞にも、俳句や短歌にも、また明治期以降の新体詩にも「いいなあ」と思うものがたくさんあって惹かれ、中には諳んじているものだってあるけれども、自分で紡ぎ出すことができないのです。詩心というものに乏しい人間なんでしょうね。
子供の時のトラウマもあります。小学校の国語の時間に詩を書く授業があって、たしか私は「風」に関する詩を書いたのでした。自分ではとても上手に書けたつもりで、帰宅して母親に読んで聞かせたら、母親は「なーんか」と軽く一笑に付したんですね。
「なーんか」というのは大阪弁で、説明が難しいですが、「なにをまあつまらないことを言ってるんだお前は」的なニュアンスの言葉です。とにかくそうやって笑われたのがとてもショックで、それ以来詩を書けなくなりました。あのときの母親はひどかったなあ。自分は俳句をやっていて、歳時記に作品が載るくらいの母親だったから、なおさら。
まあそれはさておき、長じてから通ったことのある文章教室でも詩やコピーライトのようなものを書かされたことがあるんですけど、これもまた箸にも棒にもかかりませんでした。講師の先生がコメントに苦労しているのが文面からありありと伝わってきて、恥ずかしくも申し訳ない気持ちになったことを覚えています。
そんな詩とはきわめて縁遠い私ですが、この本には圧倒され、打ちのめされ、そして久しく忘れていた(忘れようとしていた)詩への憧憬が強くよみがえってくるのを感じました。小津夜景氏の『いつかたこぶねになる日 漢詩の手帖』です。
基本的にはウェブメディアに発表されたエッセイを一冊に編んだものなのですが、毎回さまざまな漢詩を取り上げ、それを実にさまざまな詩の文体で「翻訳」して読み解いています。登場する漢詩は杜甫、蘇軾、陸游、白居易、李商隠……などなど中国の詩人のものあり、新井白石や夏目漱石や菅原道真など日本人で漢詩をものした人々の作品あり、それだけに時代も古代から近代までさまざま。
そしてまた「翻訳」される日本語のスタイルも、定型詩あり、自由詩あり、読み下しあり、漢詩を俳句に置き換えてみた実験的なものありと多種多様です。しかもそのどれもが実にたくみで、当意即妙で、圧倒的な語彙の豊かさに裏打ちされているのです。少なくとも“學而時習之不亦説乎”を「学びて時に之を習う亦説ばしからずや」と読む(読まされる)ような「チンプン漢文」(©高島俊男)とはまったく違った世界が広がっています。
日本の定型詩である俳句や短歌が「五・七・十七・三十一という素数から構成されている」というジャック・ルーボー氏の引用。「そもそも漢詩は定型詩ではなく、明治になるまで日本で唯一の文語自由詩だった」という松浦友久氏の指摘。さらに作中の典故の多さから解釈が難しいとされる李商隠の作品を「記憶や喪失に蝕まれ、強い暗示性でもってヴァニタス、すなわち人生の虚しさを描くといったバロック的性格をもっている」との評。
はたまた、中国人が文字の書かれた反故紙を「惜字紙」と読んで敬い専用の焼却炉で焼いたという話(日本にもあるそう)。フランスの友人がコロナ禍のロックダウン中に「百個の漢字の読み書きを覚えると決めた」ことに対して「書き順を知らずして百個覚えるのはたぶん無理だよ」と助言したエピソード(私は初めて漢字の書き順を知っていることの愉楽を覚えました)。絵画を鑑賞するとき人は画面の奥の二次元世界に入り込む必要があるのに比べて、彫刻の鑑賞は「わたしたちといまここにある時空を共有」するという共生体験ではないかという見立て。
漢詩をはじめとする詩の面白さを様々な知識でもって教えてくれる上に、詩に連なるさまざまな文学や芸術についての考察がとても新鮮です。そして、そこで持ち出される知識がまたなんとも幅広い。博覧強記というのとはまた違って、この豊穣さはなんと表現すればいいんでしょうか。作家の池澤夏樹氏が帯の惹句に「この人、何者?」と書かれていますが、ほんとうにそんな印象です。巻末の参考文献を見る限り、中国語にも通じていらっしゃる方のようです。ほんと、何者?
平安時代の貴族にして詩人である島田忠臣を紹介している段で、小津氏はこう書いています。
忠臣という人はいつも自由かつ平明で、その見識の高さに読者が思わずひるんでしまうような書き方をしない。こういうのはもって生まれた性格なのか。それともつちかった教養のおかげなのか。
これは小津氏ご自身にもあてはまるのではないかと思いました。読み終わってすぐ、この本の前に刊行されている『フラワーズ・カンフー』と『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』もネット書店で買いました。届くのが楽しみです。