インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

清水邦夫氏のこと

劇作家の清水邦夫氏が亡くなりました。新聞の訃報記事には「若者の苦悩やいら立ちを詩的なせりふで描いて人気を集めた」のように「詩的なせりふ」という言葉が多く見られましたが、私もその詩的な世界に強く惹かれたひとりでした。

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▲写真は東京新聞の記事より。

清水氏が演出家の蜷川幸雄氏と組んで『真情あふるる軽薄さ』や『ぼくらが非情の大河をくだる時』などの舞台を作ったのは1970年前後。私はそれよりもっとあとの世代なので、いわゆる「アングラ」と呼ばれた時代の舞台は見ていません。

一番初めに清水氏の作品に接したのは『ぼくらは生まれ変わった木の葉のように』で、通っていた高校の演劇部の公演でした。まだ「アングラ」の予熱は残っていた時代だったのか、私も一気にその熱に引き込まれました。大学に入って劇研(演劇部)に傾倒しちゃった(そのぶん本分の学業はおそろかに)のは、明らかにあのときの印象が大きかったのだと思います。私の高校の演劇部はかなりレベルが高かったようで、『ぼくらは……』で主役を演じた学生は、たしかその後、劇団俳優座の俳優さんになったと記憶しています。

私が劇研に傾倒していた頃は、バブル経済がどんどん膨らんでいた頃で、今ではちょっと信じられないくらい豪華な、あるいは野心的な演劇公演があちこちで行われていました。清水氏と蜷川氏のコンビも大劇場に進出していくつかの代表作を発表するようになります。

かつての渋谷のパルコ劇場で見た『タンゴ・冬の終わりに』は、幕開けからものすごいインパクトで圧倒されました。幕が上がると、舞台上にもこちらと同じような観客席があって、何百人もの若者(そう見えました。実際には数十人だったのかもしれませんが)がこちらを向いて座っているのです。私たちのいる観客席側が映画館のスクリーンという見立てで、その何百人もの若者が一斉に歓声を上げ、笑い、泣く。冒頭のこの数分のためだけに、これだけの俳優を使っていたのです。なんと贅沢な時代であったことか。

『タンゴ・冬の終わりに』の主演は、故・平幹二朗氏と名取裕子氏でした。映画館の支配人を演じたのは塩島昭彦氏だったかな。それぞれにもうものすごい名演で、劇中に何度も用いられたパッヘルベルのカノン(確か戸川純氏の歌が使われていたはず)とともに、今でも記憶に残っています。後年シアターコクーンで再演されたときに、堤真一氏と常盤貴子氏の主演で観ましたが、ごめんなさい、もう「私の青春を返せ!」と舞台に向かって叫びたくなるくらい迫力不足でした。段田安則氏の支配人は「すごい!」と思いましたが。

やはり、若いときのああいうみずみずしい感動というのは、それを記憶のままにとどめておくほうがいいんですね。「あの感動をもう一度」などと欲張って再演に期待すると、たいがいはがっかりするものです。江守徹氏と松本幸四郎氏(当時の)によるピーター・シェーファー作『アマデウス』も、後年松本氏親子の共演で観たときにはものすごく薄っぺらいものしか感じませんでした。いや、これは受け取るこちら側の変化が大きいのかもしれませんが。

パルコ劇場ではもうひとつ、『なぜか青春時代』も観たと思います。ホイットマンの詩『草の葉』が引用されていて、これもまた深い詩情をたたえた作品でした。この作品も、もしいま再演されたなら無性に観たくなるでしょうけど、やめておいたほうがよさそうです。人にはその年齢のその時にしか出会えない、でも出会ってしまったあとは一生の糧になるような、そういう芸術というものがあるんじゃないかと思っています。