インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

歌舞伎と拍手

留学生の「日本文化体験」という授業で、ひさかたぶりに歌舞伎を見に行きました。今月、歌舞伎座にかかっている『當世流小栗判官』、市川猿之助氏の主演です。前回同じ企画で見に行ったときは、ちょうど新型コロナウイルス感染症がかなり拡大していたころで、演目はかなり短く切り詰められたものでした。

それが今回はほぼ元の時間に戻って、序幕〜二幕目、幕間を挟んで大詰めとたっぷり。しかも宙乗りはあるわ、セリで登場するわ、大量の粉雪は舞うわ、火の玉がゆらゆら、修羅場ではどっと血が流れて電光一閃、煙がぼわっ……てな感じで、てんこ盛り。留学生のみなさんもおおむね楽しんでくださったようでした。

天井桟敷ながら私も存分に楽しんだのですが、ひとつだけ気になったのは拍手の多さです。主要な人物が登場するたびに「わーっ」と拍手がわき、見得を切るところや睨みをきかせるところで「わーっ」、大立ち回りで「わーっ」、愁嘆場でも「わーっ」、とにかく拍手が沸きまくるのです。歌舞伎って、こんな雰囲気でしたっけ。

歌舞伎が大好きで、しょっちゅう見に行っている同僚に聞いてみたら「うん、確かに今日は多かったかもしれない」と言っていました。客席に「拍手好き」な人がいると、その人につられて拍手することが多くなるんだそう。くわえていまはコロナ禍で、大向こうからの掛け声(「澤瀉屋!」みたいなの)が禁止されているので、なおさら拍手が増えているのだとか。

私は歌舞伎に疎いのであまりエラそうなことは言えないのですが、せっかくのセリフや音楽(義太夫とかお囃子とか三味線とか)が拍手でたびたびかき消されて、何だかとても落ち着かないなあというのが正直な感想でした。ほかの演劇、例えば私がよく見に行く能や狂言では上演中に拍手が起こることはないですし、オペラなんかでもありえないですよね。ミュージカルだったらあるかしら。現代劇でもたぶんないでしょうけど、新派とか新国劇、あるいは大衆演劇みたいなのだと拍手はつきものかもしれません。

ネットで検索してみると、歌舞伎における上演中の拍手については賛否両論あるようです。たとえばこちらでは、歌舞伎の見巧者とおぼしき方々が「拍手が乗ってきた芸の気概をそぎ、困る」といった意見を述べておられます。
blog.goo.ne.jp
また、拍手とはもともと西洋の習慣であり、以前は歌舞伎の劇場で拍手をする習慣はなかったという岡本綺堂の文章を紹介されている、こちらのような記事もありました。
web.archive.org
演者の意見を代弁されているこちらの記事では、「演技の途中や聞かせどころの台詞の途中での拍手でかえって芝居の盛り上がりが欠けてしまう」と書かれています。私はこのご意見にとても共感します。
kasuga-hatsune.cocolog-nifty.com
七代目尾上梅幸氏の『拍手は幕が下りてから』という本には、その「はしがき」にこんなことが書かれています。

父はよくこんなことをいっていた。「途中でお客様の手を叩かすな。幕が下りて初めて“ああ、よかった”と、ハーッとため息が出るような芸を心掛けよ」実際、途中で手を叩かれると、役の心を忘れて自分が表に出てしまう。お客様を最後の最後まで引っ張っておいて、幕が下りた瞬間に割れんばかりの拍手が起こる、というのが理想だというわけだ。

私はこれと似たようなことを、喜多流能楽師の塩津哲生師からうかがったことがあります。いわく、能の終幕で、橋懸かりを渡っているときに客席から拍手が来ると、「ああ、うまく行かなかったのか」とがっくり来るのだと。これは尾上梅幸氏と同じで、観客が拍手をする=舞台が終わったと観客の心が切り替わるようではまだまだ、と仰っているのだろうなと思いました。

私はこのお話をうかがって以来、能楽堂で拍手はしないようになりました。それがどんなに心に響いたものであっても、いや、心に響いたものであったからこそ、拍手でその余韻をだいなしにしたくないのです。こういうのは、一律に「こうしましょう」と呼びかけるのは難しいでしょうけど*1、歌の場面なるとどこからともなく起こる「しゃん・しゃん・しゃん・しゃん……」という手拍子、あとクラシックの演奏会で我先に叫びたがる「ブラボーおじさん」同様、ちょっと困ったものだなあと思っています。

qianchong.hatenablog.com
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*1:能の公演ではときどき「拍手はご遠慮ください」と劇場の入り口に書かれていることがあります。