インタプリタかなくぎ流

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だれも知らないレオ・レオーニ

森泉文美氏・松岡希代子氏の『だれも知らないレオ・レオーニ』を読みました。『あおくんときいろちゃん』、 『スイミー』、『フレデリック』、『じぶんだけのいろ』など数々の絵本の名作で知られるレオ・レオーニレオ・レオニ)氏ですが、実は絵本制作をはじめたのは49歳の時だったそう。それまでにデザイナー・アートディレクター・画家・彫刻家・作家……と、さまざまな活動の末に結実したのがこうした絵本の数々だったのだとこの本で初めて知りました。

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だれも知らないレオ・レオーニ

レオ・レオーニ氏の没後、アトリエに残された膨大な作品群と資料が遺族によって整理・保管されており、回顧展の開催を機に著者のお二人が倉庫の調査を許可されたことからこの本の出版が実現したそうです。戦前からグラフィックデザインの活動を行っていたレオ・レオーニ氏の数々の作品、さまざまな芸術家からの影響、ナチスから逃れてのアメリカへの亡命、反戦や反人種差別などに対する働きかけ……確かにここでは「だれも知ら」なかった氏のさまざまな側面を時系列に沿って知ることができます。

氏は天性の芸術家だったようで、作品の制作に際して周到な下絵や設計図やスケッチなどをあまり作らなかった(全くないわけではなく、作品によっては色々残されてはいますが)そうです。頭の中にあるイメージを直接作品として表現することが多かったよう。とはいえ、それらはもちろん無から生まれてくるわけではなく、美術史やデザイン史の流れを踏まえ、また当時の時代背景や政治・社会の問題などに学びながらのものであることは間違いありません。

こうして膨大な作品群に接してみると、やはり芸術は極私的な感性や個性の一方的な発露などというものではなく、歴史を踏まえた現状への認識・分析、そして幅広い教養に裏打ちされたものであることが分かります。冒頭にレオ・レオーニ氏のこんな言葉が載せられていました。

芸術家が、人々にはよく理解できないことをした場合、それは人道に反する行為をしたことになるのです。作品の持つ意味は、説明できるような内容のものでなければいけません。

ときおり「芸術ってのは口で説明できるものじゃないんだ」と言って言語化を拒む、というか言語化から逃げる芸術家がいますけど(爆発だ! とかね)、きちんと説明できなければそれは自慰みたいなものだということですよね。このあたり、とかく雰囲気やフィーリングに流れた曖昧な語り方をする「アーティスト」が多い(アスリートにも多い)日本の私たちには耳が痛いところではないかと思いました。

個人的には、私も大好きな美術作家であるベン・シャーンやアレクサンダー・カルダーから受けた影響という部分がとても興味深かったです。確かにレオ・レオーニ氏の絵画作品やデザインはこのお二人の作風を彷彿とさせるところがあります。それに比べると、晩年(と言っていいのかどうかわからないけれど)の絵本作品には、そこから一歩も二歩も突き出た、氏独特の境地に達した感じがあります。氏の絵本はとてもシンプルな作りに見えますけど、その誕生には膨大な前史があったということですね。

ひとつだけ残念だったのは、この本の「作り」です。硬い紙に印刷された220ページあまり、A5版サイズの厚さ2センチほどある本なのですが、本の「ノド(本の内側の綴じ目部分)」があまりにも固くて、開きにくく読みにくいのです。にもかかわらず「ノド」の近くまで図版や文章が印刷されており、中には見開きの図版もあるので、せっかくの作品を十分に楽しめません。図版も文章も編集も素晴らしいのに、最後の装幀や製本がちっとも「読者フレンドリー」じゃない書籍が多いのですが、この本もそうでした。これはぜひ180度ペタッと開ける「コデックス装」で作ってほしかったなあ……。