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仕事でも、仕事じゃなくても 漫画とよしながふみ

出先の駅前でふらっと入った書店の棚に見つけて欣喜雀躍、すぐに買い求めました。マンガ家・よしながふみ氏へのロングインタビューを収めた『仕事でも、仕事じゃなくても』です。


仕事でも、仕事じゃなくても 漫画とよしながふみ

はじめて氏の作品を読んだのは『愛すべき娘たち』でした。それからもう十五年くらい、いや、おそらく二十年近く氏の作品を読み続けてきました。この本の巻末に作品リストが載っているのですが、ほとんどの作品を読んだと思います。

デビュー作から現在に至るまでの創作にまつわるインタビューを読みながら(インタビュー自体は氏の生い立ちから始まっています)、氏の作品を改めて振り返ってみると、よしながふみ氏は意外に「寡作」な作家なんだなと気づきました。

いや、作品としては短編・長編あわせて膨大な仕事量ではあるのですが、ひとつひとつの作品の濃密さが際立っているせいか、なんとなく作品を「量産」しているような雰囲気がないのです。実際、このインタビューでも氏は「何があってもMAXは連載二本。それ以上は増やしていません」とおっしゃっています。

作品それぞれの濃密さが際立つのは、氏の人間描写がとても丹念だからでしょう。果たしてこのインタビューでも、作品の制作にあたってストーリーと人物造形にかなり時間をかけていることが明かされます。

もうひとつ、私がこのインタビューを読んで改めていいなあと思ったのは、よしながふみ氏が切り開いてきた、マンガの主題や人物造形の多様性です。

もとより日本のマンガは、驚くほど多彩な主題にあふれてはいるのですが、そこにもまだ一定のステロタイプが存在していると思います。マンガに限らず音楽、特にポップスなどに顕著ですが、いまだに男女間の恋愛が物語のスタンダードで、どこかに「こうあらねばならない」という押しつけがあるのではないかと。

そういった物語のありようからすれば、いわば異端的な位置にあったBLのフィールドから登場してきたよしながふみ氏は、長く創作を続けてこられるうちに時代の変化とも呼応しながら、それまでになかったようなタイプの作品を次々に世に問うてこられました。『大奥』しかり『きのう何食べた?』しかり。

たった十数年、長くても数十年ほどで、社会からの個人に対する「こうあらねばならない」という押しつけは徐々に薄まってきた気がします*1。この本でも述べられているように、「番(つが)わなくてもよい」「恋愛しなくてもよい」「結婚しなくてもよい」といった価値観を自然体で選ぼうとする方は増えてきました。マスコミなどは「結婚できない男女」などと、旧態依然っぷり全開のところが多いですし、政治家たち、とくに与党の人たちなど周回遅れも甚だしいですが。

登場人物が実際に歳を重ねるのと同じ歩みで連載が続いている『きのう何食べた?』では、最初は息子の同性愛に理解が及ばなかった両親が、完全に理解するところまでは行かないものの、徐々にそういう人生のあり方を受容できるようになっていく変化が描かれています。

そして主人公のシロさん自身も、積極的なカミングアウトはしないものの、徐々に自らの人生をより肯定し、パートナーであるケンジへの接し方が変化していくのです。長期連載ならではの「深み」だと思うのですが、このあたりの事情をよしながふみ氏ご自身はこう述べておられます。

この漫画は時間が経過するということを劇的な何かが起こることよりすごく重く描いているつもりで、とにかく時間が経ったからもういいかな、ということが基本的に多い(笑)。(304ページ)

なるほど。シロさんの「お買い物ともだち」である佳代子さんも、自身がかつて流産した体験をするっとシロさんに語れてしまっていたことに気づいて「時間ぐすりって言うもんねえ」と言っていましたよね。そして、よしながふみ氏は「以前よりずいぶんと漫画を描きやすくなった」とおっしゃるのです。

恋愛以外のことだったり、恋人でも友達でもないような名前がつかない関係性だったりを商業誌でも描けるようになった気がします。奥さんに逃げられた男の人と、その奥さんと一緒に逃げた男の人が仲良くなるような話が昔から好きなので(笑)。そういう関係の二人の話とか恋愛に発展しないシェアハウス仲間の話とか、雑誌によっては描かせてもらえるんじゃないかなって思えますから。それと、歳を取っても漫画を読む人が増えているので、この先も同世代に向けて発信し続けられるようになったとも感じています。(338ページ)

これもまた社会からの個人に対する「こうあらねばならない」という押しつけが徐々に薄まりつつあることの反映なのでしょう。それが氏のマンガ作品にも如実に表れている。いい時代になりつつあるなあと個人的には思いますし、自分と同世代の作家であるよしながふみ氏の今後の作品がますます楽しみです。

*1:その一方で「今となってはダメ」な表現になったこともあります。この本でも触れられていますが、例えば『フラワー・オブ・ライフ』における真島(高校生)とシゲ(教師)の恋愛や、文化祭打ち上げ後の飲酒などなど。これもまた時代の流れ、時代の変化を感じます。