インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

暑いんだから日傘を使いましょうよ

九月を目前に控えても、異様な暑さが続く日々。小学生の親御さんが子供に日傘を持たせたところ、学校や教育委員会から「日傘は禁止」と言われたというニュースに接しました。

www3.nhk.or.jp

「傘を使用していない子どもに傘がぶつかるとケガにつながりかねない」「傘で手がふさがると危険」「ランドセル通学にも慣れていない小学校低学年に日傘を持たせるのは難しい」「日傘は暗い色が多く周りが見えにくいため、交通事故の危険性が高まる」など様々な理由が挙げられています。総じて「危険だから」というわけ。

先日も東京都議会で「なぜツーブロックはだめなのか」という都議の質問に教育長が「外見等が原因で事件や事故に遭うケースがあるため」と驚きの答弁をして話題になっていましたが、教育者としてこういう発想はどうかと思います。リスク回避のようでいて、酷暑に対してはまったくの思考停止。危険であるなら、お互いが注意しようと自律性を高める方向に持っていってこその教育じゃないですか。

もちろんここには、何か「危険」な事が起こった場合に保護者やマスコミなど社会全般から叩かれるから、面倒なことは一切避けたいという思惑が働いているのだと思われます。公共空間でもあらかじめ苦情などの面倒を避けたいがゆえにサインシステムが煩雑になり、注意書きや注意の音声が満ちあふれてこの国独特のストレスフルな空間が出現していますが、もうそろそろ私たちはもっと自立と自律を尊ぶ大人に成長すべきじゃないでしょうか。そしてそれを子供の頃から養う方向へ持っていくべきです。起こる危険性の高い熱中症よりも、起こる危険性のあやふやな日傘によるトラブルを心配して、一律にダメと思考停止に陥るのではなくて。

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https://www.irasutoya.com/2014/01/blog-post_11.html

この記事には「日本日傘男子協会」の事務局長氏のコメントも載っていました。「子どもの登下校時の日傘は、学校ごとの判断なので、協会としての評価はできません」に始まり、こんなことをおっしゃっています。

もし日傘が周囲の人にとって不快になったり、危険を感じたりするようになれば、日傘をさすことについて周囲の理解を得ることは難しくなります。

そして、「もし学校でも日傘を使うなら『みんなで使う』というふうにしたほうがいいのではないか」として、こうもおっしゃっています。

子どもたちがみんなで日傘を使うようになれば、雨の日と同じように『お互い様』となって、誰もが気兼ねなく日傘を使えるようになると思います。

これを読んで私は、男性も日傘を使いましょうという先進的な考え方を持っておられるとおぼしき「日本日傘男子協会」の事務局長氏がこんな当たり障りのない、同調圧力だのみのことしかおっしゃらないなんて……と違和感を覚えました。それですぐに同協会のオフィシャルサイトを検索してみたのですが、そこにはこう書かれていました

男性にも日傘と帽子の選択肢があって然るべきです。当協会が目指すのは、男性が日傘をさすのが特別なことではなくなり、普通の持ち物として愛用できるような 「人と環境にやさしい社会の実現」です。

また、こうも書かれています

「自分の身は自分で護る」それは、現代社会を生き抜く鉄則です。

おお、まったくもって同感です。男性も日傘をという動きそのものが「男が日傘なんて」という旧態依然とした同調圧力からの解放を意味するんですよね。自分の身体は自分で守る。同調圧力には屈しない。それは子供から大人まですべての人が大切にしたい理念です。日傘を愛用している、というかこの酷暑に手放せない私としては、「日本日傘男子協会」代表理事氏にはもっと強いメッセージを発して学校や教育委員会の不見識を叱ってほしかったと思いました。

ところが、その後に日本日傘男子協会の公式Twitterがこんなツイートをされているのを見つけました。


なるほど、電話取材で発言をマスコミの意に沿うように使われてしまったということですね。これはちょっと同情いたします。結局これは、上述した思考停止の学校と教育委委員会と、そしてどこまでも両論併記的な報道しかせず、問題の在りかを究明するジャーナリズムの精神に欠けたNHKの問題ということなのでした。