インタプリタかなくぎ流

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ほんとうのリーダーのみつけかた

梨木香歩氏の『ほんとうのリーダーのみつけかた』を読みました。五年ほど前のトークセッションでの講演を文字に起こしたものと、雑誌『図書』に寄稿された二篇をまとめたものです。いずれも数年前に発表されたものですが、いま読んでもその問いかけは新鮮、いえ、いまだからこそより心に響きます。また、本自体は薄く活字も大きいのですぐに読めてしまうのですが、とても大切なことを語りかけてくれる一冊でした。

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ほんとうのリーダーのみつけかた

表題にもある「リーダー」については、飼い犬と飼い主の関係を例に語っている場面で、とある有名なドッグトレーナー(調教師ですか)のこんな言葉が引用されています。

リーダーの条件とは、「毅然として、穏やかであること」(22ページ)

人間は群れを作る生き物であり、それゆえに自分を安心・安定させてくれるリーダーを希求する、その指導のもとにまとまることができるリーダーを無意識のうちに求めるのではないかと筆者は言います。でもいまのこの国では、それが同調圧力という形をまとって人々に圧力を加え、かつ「毅然として、穏やかであること」という形容から想像される賢人然とした佇まいからはおよそ程遠い人物が長くリーダーの座に居座っています。

そんななかで「ほんとうのリーダー」はどこにいるのか、それは……というのがこの本の白眉なのですが、それは「ネタバレ」になるので本書をお読みいただくとして、私がまず心に響いて付箋を貼ったのは、帯にも引用されているこの部分でした。

正しい批判精神を失った社会は、暴走していきます。批判することは、もっとよくなるはずと、理想を持っているからできること。社会を愛する気持ちと反対のものではないのです。客観的な目を持つ。つまり、そういう視点から自分をも見つめる。筋肉のようなものをつける。(30ページ)

最後の「筋肉のようなものをつける」というのがいいですね。まさしく正しい批判精神とは、筋トレのように倦まず弛まず日々自分に向き合い、自分の頭で考え続けることでしか身につかないものではないかと思うからです。そしてまた自分で考えることについて、こうも書かれています。

自分で考えるためには、そのための材料が必要です。その材料となる情報をまず、摂取しなければなりません。でもその情報もすべて鵜呑みにするのではなく、自分で真剣に向き合って、おかしいと思ったらこれはおかしいんじゃないか、と、疑問に思わなければならない、そういう時代になりました。つまり、その情報が出てきたところの事情を想像する力もつけなければならない。(35ページ)

考えるための情報摂取源として、現代はネット、とりわけSNSが大きな存在感を持っていますが、私はここのところ、このSNSこそが同調圧力を生み、知らず知らずのうちに自分の頭で考えることをしなくなる装置のように思えていて、意識的に距離を置く、あるいは目的意識を持って限定的に接するようにしています。

多様な意見が飛び交うSNSがなぜ同調圧力を生むのかって? たしかにSNSには自分ひとりでは想像すらできなかったような「耳目を惹かれまくり」の情報がどんどん飛び込んできます。でもそれらに引っ張られてあちこち情報のアンテナを伸ばし続けているうちに、ふと気づくと自分という核がなくなっているような気がすることがあるのです。自分という核を失って「マス」に身を預けてしまうという点では、これも同調圧力の一変種なのではないかと思ったのでした。

先日、とある有名なブロガー氏がTwitterについて「以前はテレビより情報が早いというところに価値があったが、最近は情報の多様性にある」とおっしゃっていました。自分一人では関心を持つことすらなかった話題に触れる機会をもたらしてくれるのが価値だと。私は確かにTwitterにはその一面があるとは思いますが、それにしては玉石混交の「石」の含有量があまりにも多すぎるような気がします。そしてまた逆に極めて手っ取り早く自分の「メンター」を求めてしまいがちであるとも。

またこの本ではInstagramについて、「人目を引くことに価値を置き、他者に評価してもらってはじめて安心する、極めて主体性の希薄な日常が透けて見える」ときわめて厳しい評価がなされています。私はInstagramを使っていないのでよくわからないものの、SNSの多様性に触れ続け、脊髄反射的に反応し・反応されることを続けていると、自分ではこの世界に広くアンテナを張ってフラットで多様な価値観を体現しているつもりで、実は自分では何も考えていなかった、あるいは自分で考えたと思っていたものは実はSNS圏内での力学に迎合した結果のものだった……ということはあるかもしれない、と思います。

自分を主体にして、客観的な視点を持つ。言うのは簡単ですし、なんとなくいいこと言った気にもなるのですが、よく考えるとこれほど難しいこともないような気がします。だって自分に向く視線と、自分から離れた視線を同時に持つということなんですから。

そしてそういう作法を身につけるためには、もちろんSNSの「情報の多様性」もひとつの道具になるでしょうけど、それ以上に有効なのは月並みですけどやはり広範な読書ではないかと思います。玉石混交の中からキャッチーで威勢がよくて歯切れのいい短い宣言や箴言をみつけてはスッキリするという習慣から少々離れて、まとまった量の文章を読み、自分の頭で考えることを繰り返す。そうやって「筋肉のようなものをつける」しかないのではないかと。