インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

SNSやニュースフィードで情報を知らなくてもいい

昨日仕事を終えて退勤しようとしていたときに、同僚から「ねえ、どう思う? あの吉野家のハナシ」と聞かれました。私は何のことだか分からなかったのですが、吉野家の常務が早稲田大学で行われた社会人向けのセミナーで「きわめて不適切な発言」をしたとのこと(下品すぎるので詳述しませんが)。今朝の新聞各紙に載っていました。

同僚はネットニュースやSNSでいち早くことの顛末を知っていて、いっぽう私はぜんぜん知らなかったというわけですが、これが私にはとても印象深いできごとに思えました。こういう話題だったら「翌日に紙の新聞で知る」くらいでじゅうぶんじゃないかと。

昨年からネット、なかんずくSNSにおける「アテンション・エコノミー(注意経済)」の問題に注目していろいろな本を読み、いくつも利用していたSNSのサービスをほとんど「降り」ました。その結果、自分自身で主体的に使える時間を取り戻して、ずいぶん暮らし方が変わりました。少なくとも以前のように、暇さえあれば(本当はそんな暇などないのに)SNSやネットニュースを見に行っては、気がついたら大量の時間を浪費していた……というようなことがなくなりました。

以前なら、SNSやネットニュースで今回のようなできごとにいち早く触れ、それに対するネット民の反応に同調し、あるいは反発し、自分もいろいろとSNSでつぶやく……くらいならまだしも、そこから意識せずにいろいろなリンクに飛び、気がついたらもとのニュースとはまったく違う何か別の事柄でまたまた同調し、あるいは反発し、その脇にあったちょっと気になる本やモノの広告につられ、ついつい購入し……というような展開になっていた可能性大です。それが日常的に、頻繁に繰り返されていたのです。

今回そうした「営み」から距離を置いて、全体を俯瞰するように眺めてみたら、SNSやネットニュースに引きずり回されて自分を失っていたことがはっきり分かったという次第です。


https://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_2.html

SNSもそうですが、ネットニュースも、そのアルゴリズムで巧みに私の興味を察知して、それに合わせていろいろな情報を配信し、こちらの「注意」を引きつけようとします。私としては主体的かつ機動的に情報を手に入れているつもりになっていますが、その実、注意経済に絡め取られてしまっているのです。いち早く情報を手に入れているという謎の快感は、自分の主体性を向こうに引き渡すバーターとして得られているんですよね。

その点、情報を得るスピードとしては遅い(一日遅れ)けれども、私個人向けに巧妙にカスタマイズされていない紙の新聞(職場では、保守系からリベラル系までいろいろ読めます)をざっと読んで、より自分にとって大切なニュースや情報に触れるようにする……というくらいのスタンスのほうが、とても健康的なんだなと今回改めて思いました。紙の新聞、やっぱり存在価値がありますよ。

だいたい「生娘をシャブ漬けに」などというお下劣な発言を(あっ、書いちゃった)いち早く知ったところでそれが何だというのでしょう。そんな不規則な情報を不断に自分の時間に割り込ませる・飛び込ませるのを許しているから、自分の時間がどんどん削られていってしまうのです。