インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

すべてはノートからはじまる

副題に「あなたの人生をひらく記録術」とあり、帯の惹句には「自分を変えたければノートをとれ!」とあります。見返しには「ライフハック」のようなやや軽薄そうに聞こえるフレーズが書かれており、何となく怪しい自己啓発書のような雰囲気ではあります。でもその印象は一読して変わりました。

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すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術

自分が最近使い始めた「アウトライナー」にも通じる、自分の思考を外部化する道具としてのノート。そう言ってしまえばごく当たり前のことのように思えますが、単なる備忘録として(もちろん、忘れることに備えるのも大切な目的ではありますが)、あるいは記録として残すというより、自分の内側の感覚や思いをいったん自分の外に出し、それと対話することで真に「考える」ことを、様々な技法を紹介しながら勧めています。

qianchong.hatenablog.com

印象深い一節がありました。空で考えることと書いて考えることの違いを述べた部分です。

空で考えること(空考と呼びましょう)は、自由に連想が広がっていくのでアイデア発想において役立ちますが、多様な情報を同一平面で扱わなければならない判断や決定においては、書いて考えること(筆考と呼びましょう)の方が役立ちます。「考える」という行為でも、その実体にはいくつかのバリエーションがあるのです。(75ページ)

もうひとつ、「思う」と「考える」の違いと、そのふたつを組み合わせて「思考する」ことについて、そしてその2つを架橋するものとしてのノートという考え方にもとても共鳴しました。

人間は無自覚に情報処理を行っておりそれが「思う」を発生させ、「考える」は意識的にその情報処理を促す、そして「思う」と「考える」の二つを含むのが「思考」という活動です。(144ページ)*1
日常生活の大半は繰り返しであり、それらは「思う」の情報処理だけで過不足なく進めることができます。しかし、「思う」だけでは十分ではなく、解決できない問題や解消できない不具合が生じることがあります。そうした時に必要になるのが「考える」です。言い換えれば、変化を呼ぶものが「考える」であり、その知的作用が新しい動きを作り出していきます。(146ページ)

私はよく「思考」が堂々巡りをして、うまくまとまらないときがあるのですが(というか、そればっかり)、たまさか何かの方策に行き着いて前進できることもあるものの、おおかたの場合はその堂々巡りに疲れてしまって、結局忙しい日常生活上の些事に戻っていってしまう(後回しにしてしまう)ことがままあります。なるほど、そんなとき私は「思考」していたのではなく、ただあれこれと「思う」だけだったのかもしれません。「思う」をノートの形で*2いったん自分の外に押し出すことが肝要なのでした。

「自分の想像力よりも、人生の可能性のほうが広い」。筆者の倉下氏はそうおっしゃっています。いや、実にその通りで、自分の「思う」を外部化して「考える」ことで、自分でも気づかなかったなにかの可能性が開けることがあるわけですね。そう考えると副題の「あなたの人生をひらく記録術」というのも腑に落ちます。

この本にはほかにも、SNSなどによってもたらされる「注意経済」から自分を引き離し、自分の「思考」を自分の中心に置くための道具としてのノート、ノートの一つの形としてブログや本を書く意義など、さまざまな示唆に富む記述があります。

qianchong.hatenablog.com

それもこれも、煎じ詰めれば自分の脳内の活動をノートに出力するというシンプルな行動に収斂します。世上よく言われる「可視化」とか、さらには「レコーディングダイエット」みたいなものにもつながる考えで、特段新しい考え方ではないのですが、それをとてもわかりやすく、かつ「自己啓発書臭」の少ない形で解説していて、自分にとってきわめて示唆に富む一冊でした。その意味では「すべてはノートからはじまる」という書名にそのエッセンスは言い尽くされていると思います。

*1:この部分、以前に読んだダニエル・カーネマン氏の『ファスト&スロー』に通底する話だなと思って読んでいたら、果たして巻末の読書案内で参考文献として取り上げられていました。

*2:ノートは紙のノートに限らず、スマートフォンやパソコンのメモやアウトライナーや、さらにはこのブログのような形でもいいのです。本書に詳述されています。