インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

宇宙人と出会う前に読む本

宇宙「各地」の「宇宙人」たちが集まる「惑星際宇宙ステーション」へ行ったと仮定して、そこで宇宙人たちと会話するとしたら、どのような基本的、かつ宇宙共通と思われる教養を備えておくべきか……という一冊。もちろん、それぞれの恒星系が絶望的なほど隔たっている宇宙では荒唐無稽すぎる設定ですが、その設定を使って、私たち地球の人類が現在のところまでに究明している科学知識がどれくらい宇宙共通と言えるのか、それとも言えないのかを解説しています。

f:id:QianChong:20210826132731j:plain:w200
宇宙人と出会う前に読む本 全宇宙で共通の教養を身につけよう (ブルーバックス)

宇宙空間におけるそれぞれの位置に始まって、元素、力の統一理論、ダークエネルギー、ビッグバンとインフレーション、生命のありよう、数のなりたちなどなど、物理学と数学の最先端の話題を物語形式で噛み砕いて解説しているのですが、なるほど、仮に宇宙に知的生命がいるとしたら、どんなプロトコルであればコミュニケーションができるのか、あるいはできないのかを想像するのはとても興奮します。

紙面の関係もあって、それぞれのトピックはごくごく初歩的な知識の範囲に留まっていますが、それでも私のような一般の社会人にとっては十分に楽しめる教養読本のような内容です。私はこの本を読んで、やはり物理学と数学が底抜けに面白いと思いました。この二つは学生時代に最も苦手としていた教科であるにも関わらず。ああ、もっと早くその魅力に気づいて、真面目に勉強しておけばよかった。

もうひとつ、これは著者の意図するところでは全くないかもしれませんが、個人的にいろいろと考えさせられる設定がありました。物語の主人公は自分のことを「私」としか言いません。そして「私」は惑星際宇宙ステーションで出会ったペガスス座の宇宙人と知り合い、やがてその宇宙人に少なからぬ好意を抱くようになります。

まあよくあると言えばよくある設定なのですが、私は(いま考えると不思議なことに)、無意識のうちにその宇宙人を「女性」、そして「私」を「男性」と考えて読んでいました。ところがこの本の最後の方になって、筆者はこの宇宙人のことを「彼」と書いていることに気づいたのです。

あらためて最初からページを繰ってみると、最初からすべて「彼」になっていました。なのに私は、これをごく「自然」に、するっと「男女」の関係と設定して読んでいたわけです。

もちろん性別を「女性」と「男性」だけに分けて考えること自体が不毛です。それは現代の地球上においてもそうですが、宇宙に生命があると仮定してもそうでしょう。そも「性」というものが存在するのかどうかさえ未知の世界なんですし。

また仮にこれを極めて限定された地球の私たち的な世界観に押し込めて考えたという前提でも、「私」が「男性」であってペガスス座の宇宙人もまた「男性」であったとしても、それはそれで構わないはずです。なのに私は初手から、惑星際宇宙ステーションに地球の一般人として初めて参加を許された「私」が当然のように「男性」であり、その「私」が好意を寄せる相手は当然のように「女性」であるという設定を無意識のうちに選択していたわけです。自分の奥底にしっかりと根を張っている男性性みたいなものにあらためて気づかされたという次第です。

おそらく著者はそこまでは設定に盛り込んでおられず、「私」と「ペガスス座の彼」とは友情で結ばれた関係という以上のものではないと思われます。それでも、地球の科学的な常識が全宇宙でも通用するかどうかはわからないという知的好奇心を刺激される一冊で、極めて陳腐かつ強固な自身の男性性を再確認できたのは、思わぬ余禄でした。