インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

バカに絵は描けない

私は学生時代、美術大学の彫刻科で学んでいました。サラリーマンになるのがいやで「俺はアーティストになる!」と息巻き、浪人までして入った大学でした。アーティストになるんですから、当然教職課程も取らなければ就職活動にも無関心でした。けれど一年、二年と在学するうちに己の才能のなさに気づいて呆然とし、絵画にも彫刻にも興味を失い留年までするうち、その反動で演劇に没入して行きました。でもその演劇だって部員数名の弱小サークルでちまちまと演劇「ごっこ」をしていただけで、今から思うと誠に貧相な美大生活でありました。

これはずいぶん後から悟ったことですけど、絵画にせよ彫刻にせよ演劇にせよ、あらゆるアート作品というものは個人が好き勝手に個性の発露をさせるもの「ではない」んですね。「爆発だ!」ってな調子で、個人の中から突如として沸いて出てくるようなものではなく、それは過去からの芸術史の流れを踏まえた上で現代に立ちあらわれてくるものです。ですから、基本的にこれまでの芸術史の流れとは完全に無縁な創造というものはなく、どんなアートの表現もそれまでの歴史の影響を受け、その上でいまという時代に問われるべき意味を持つものです。

それはどんな学問も、その学問の歴史や先行研究を踏まえて新たな学説が世に問われるのと同じです。歴史や先行研究を全く無視した学説など誰も評価しませんよね。そうした諸学問では論文によって世に問われるものが、芸術では作品という形を取っているだけなのです。例えば現代の様々な音楽も、それまでの音楽の長い歴史の上に成立しているのは結構よく知られています。ロックもジャズもポップスも、歌謡曲だってアイドルのヒットソングだって、その前史、そのまた前史、さらにそのまた前史からの流れの末に生まれ、位置づけられるものです。

だから現代に生きる芸術家は歴史を学び、同時に現代の様々な知見について深い洞察を持っている必要があります。私のように、小学校の頃ちょっと絵が上手でマンガなんか書き散らしていて、それで自分には才能があると勘違いして美大にまで行っちゃっただけの、歴史も哲学も科学も……ほとんど造詣がないような人間に、優れた作品を作れるはずがなかった。こう言うと語弊がありそうですが、端的に言って「バカに絵は描けない」んです。豊かな教養と、学問に対する情熱と、自分を取り巻く世界を見つめる真摯な姿勢がなければ、優れた芸術など生み出し得ない。

優れた芸術家というものは、優れた教養人であると思います。ご自身の分野の歴史を踏まえ、同時代の作品からも影響をうけ、時に批判し批判され(批判と悪口は異なります)、世界の現在と未来についても高い見識と洞察力を持つ、あるいは持とうと努力している人こそ優れた芸術家と呼ぶにふさわしい。芸術が人々の心を陶冶するものである以上、それは当然のことですよね。もちろんこれは芸術家に限らず、どんな分野にも共通していることだと思いますが。

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https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_2687.html

ごっこ」ながらも演劇にのめり込んでいた当時、東京の演劇シーンはちょうど「小劇場ブーム」と呼ばれる時代でした。中でも時代の旗手の呼び声高かった、鴻上尚史氏率いる「第三舞台」のお芝居はずいぶん見に行きました。昨日、その第三舞台の流れをくむ「KOKAMI@network」の公演『ハルシオン・デイズ2020』の主演者コメントのうち、俳優・石井一孝氏のコメントが批判されていました。同公演の公式Twitterでは「先に出した文章が、一部認識が浅く、間違った表現であった」とツイートが書き込まれ、公式ウェブサイトではそのコメントが差し替えられています。

www.thirdstage.com

石井一孝
『蜘蛛女のキス』というミュージカルでモリーナという愛深きトランスジェンダーを演じたのは10年ほど前だったか。「女言葉や女性としての自然な所作」という設定が難しく、膨大なセリフもなかなか覚えられず、七転八倒の毎日でした。しかし仲間達と絆を重ねあい壁を超えると、女でいたいというモリーナの心が、男の私にも伝わり、生き生きと女を生きられたのだ。今回は哲造というゲイの役。モリーナとは違い、男として男を愛する役ではあるけれど、自分のいつもの言葉とは違うセリフで、難しい役であることは似ていると感じる。けれど今度は最初からうまくいく...気がしている。しかし鴻上さんとは初めまして。「生きる!」というテーマに立ち向かうのはきっと大変な毎日になると思う。でもHalcyon days(穏やかな日々)を少しでも早く迎えられるよう、気を引き締めて挑みたい。

ところが、その時点で私は、差し替えられる前の文章を他の芸能ニュースサイトなどで読むことができました(現在は差し替えられているようです)。
thetv.jp
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lp.p.pia.jp
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差し替え後の文章と読み比べてみていただきたいのですが、私はこれは「差し替え」というより「隠蔽」だと思います。公式ウェブサイトの「書き換え後」の文章を石井氏自らが手がけたのかどうかは不明ですが、自ら書いたのだとすれば先の発言(文章)からこの文章に変わったその思考経路についてぜひ説明されるべきだと思います。そしてもしご本人ではなく興行元(ウェブサイトの管理者)が書き換えたのだとしたら、それは「臭いものに蓋」のそしりを免れないのではないでしょうか。

私は学生時代に第三舞台を見ていた当時から最近に至るご著書まで鴻上尚史氏のファンですが、その鴻上氏が昨日Twitterに書き込まれていた、石井氏を不問にするに等しいこのツイートにも少々がっかりしました。「ずっとアライでありたい」と思っておられるなら、なおさら。まずは謝罪をという姿勢はもちろん共感できるのですが。

「原文」では「またきてしまったのか……オカマ役が」、「今ではもうすぐに女になれる……気がしている(笑)」などと、性認識・ジェンダーに関してあきれるほどの無理解や不見識が露呈しています。マヌエル・プイグ氏の『蜘蛛女のキス』にせよ、鴻上尚史氏の『ハルシオン・デイズ』にせよ、こうした役を演じるだけの教養と器量と人格を備えている方なのかどうか、はなはだ疑問です。バカゆえにアーティストになれなかった私が言うのも大変おこがましいですけど。

追記

今朝の東京新聞朝刊で、北丸雄二がこの件を取り上げておられました。そうですよ、カッコ悪いですよ。

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