先日、今年最後のお能の稽古に行ってきました。いまは来年7月に予定されている発表会に向けて、舞囃子の「高砂」を練習しています。途中に神舞(かみまい)というまさに神速の舞が入っている舞囃子で、ずっと憧れだったものですから稽古が楽しいです。それと来年の11月の発表会でかかる能「景清」の地謡にとお誘いをいただいたので、その謡も練習しはじめました。
私はこうした長いスパンで少しずつ稽古していくのが好きです。いずれにしても素人の趣味に過ぎませんので、ほとんど自己満足の世界から抜け出せてはいませんが、お能の世界は明らかに普段の暮らしとは異なる「非日常」ですから、ともすれば仕事の忙しさにかまけて単調になりがちな日々の暮らしの風通しを良くしてくれるような気がします。
ところで先日の稽古で、お師匠からちょっと気になる話を聞きました。それは能楽を今後に伝えていくための若い人が少なくなっているというお話です。これは能楽のみならず、伝統芸能の世界ではいずこも同じような状況なのだろうとは想像しますが、ご多分にもれず能楽も同じ、それもかなり深刻なのだとか。そういえば数年前に、国立能楽堂の研修生応募者がゼロになったというショッキングな報道に接しましたが……。
特に私が稽古をしている能楽喜多流は、五流あるシテ方のうちでいちばん玄人の(プロの)能楽師が少ない流派です。喜多能楽堂のウェブサイトにある「能楽師のご紹介」ページを見ても、現役の能楽師は37名しかいらっしゃいません。
能楽の公演は、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方など多くの分業で成り立っていますが、そのうち一番多く人数が必要なのはシテ方です。主人公たるシテを演じる以外に、地謡に8名必要ですし、後見も数名が入ります。さらに演目によってはツレと呼ばれる登場人物がいますし、これが例えば「安宅」みたいな演目になると8名から10名ほども登場します。そのほか「道成寺」のように後見がおおぜい参加する演目もあります。
加えて、それぞれの能楽師のみなさんに後を継ぐ方がいらっしゃるわけでもないそうで、これでは早晩公演が成り立たなくなるかもしれないというご心配もかなりリアルなものとして感じられます。歌舞伎もそうですけれど、玄人の能楽師は必ず一子相伝というわけでもなく、能楽師の家系以外からこの道に入ってこられる方もいるそうです。でもそういうケースはとても少なく、また能楽師として一人前に育つまでには何十年もかかります。
素人の我々は気楽に「日々の暮らしの風通しをよくしてくれる」なんてことを呑気に言いながら稽古を楽しんでいますけど、玄人の能楽師のみなさんのご苦労は大変なものなのです。明治維新で武家の扶持を失った能楽師を支え、能楽の中興に力を貸したのは幅広い「受け手」、つまり能楽を見たりお稽古したりしてきた多くの人々の存在でした。
私も現代にあって、同じように伝統芸能の継承を願う市井の人間ではありますが、私にできるのは能楽を鑑賞し、お稽古に通い、さらにこうやってブログなどで能楽の良さを伝えることくらいです。後はカンパかなあ。喜多能楽堂は現在、改修が必要ということで寄付金を募っています。とりあえずまずは、ということで寸志を投じてきました。