インタプリタかなくぎ流

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大学を辞めなくてよかった

芸人の小島よしお氏が『しくじり先生』で「大学を辞めなくてよかった」という話をされていました。大学時代にWAGEというお笑いサークルに所属して人気を博し、有頂天になって大学を辞めようとしたものの、親に止められて結局は翻意したというお話です。


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私の経験から学んだ教訓を、夢のために大学を中退しようと思っている人に贈ります。「まずは落ち着け。夢への志が高くとも、所詮親のスネをかじっている。しっかり親と話し合おう」。私、卒業してよかったなと思うことは何度もありますけど、途中で辞めてればよかったなと思うことは、今のところ1回もありません。

この動画は、仕事で疲弊しきって帰る途中の電車内で見ました(読書も、語学の練習もしたくなくなるほど疲れたときは、よくこういうお笑い系の動画を見ています)。私もかつて大学に通い、途中で辞めようと思い、それでも親に諭されて留年もはさみながらなんとか卒業した人間です。しかも小島氏と同じように「卒業してよかった。途中で辞めてればよかったと思うことは1回もない」ので、共感することしきりでした。

私が大学を留年しながらも卒業したのは、父親から「まだまだこの国は学歴社会だ。大学だけは出ておけ」と言われたからです。当時の私はそういう考えにあまり共感はできてはいませんでしたが、結局その助言には従いました。そして卒業してもしばらくは就職せず(就職できず)に好き勝手なことばかりしていました。いまでも、学歴はその人の一つの側面に過ぎないとは思っています。学歴だけで人を測ることはできません。

だた、その人がどんな仕事をしたいかにもよりますが、現実的にはなにかの仕事に就こうとした際に、大卒の資格があるかどうかは職業選択の幅という点で大きく影響してきます。これからはどうだか分かりませんけど、少なくとも日本社会においてのこれまでと、いま現在の段階ではこれは否定し難いでしょう。ましてや自分にどんな適性や可能性があるのか自分でさえよく分かっていない若い頃に、みずからその選択の幅を狭めてしまう必要はないと、いまにして思います。

もうひとつ、小島氏のお話を聞いて思ったのは、アーティスト系の夢を追う若い人(かつての自分もそうでした)にありがちな謎の全能感と、その実ほとんどの人には備わっていないと思われる才能の乏しさとのギャップです。西原理恵子氏の『毎日かあさん13 かしまし婆母娘編』に載っている「まっすぐな道」というこの作品を思い出しました。


毎日かあさん13 かしまし婆母娘編

「俺を馬鹿にした連中を見返してやるぜ」という「連中」がそもそもいないとか、もう、かつての自分を見るようでイタいのなんのって。ただし私は最近になって、「生まれ持った才能」というようなものは本当は存在せず、尋常ならざるトライアンドエラーの繰り返しの末に獲得されたものが才能と呼ぶべきものなのだろうと信じるようになりました。生まれ持った才能がないから大成できないのではなく、そういう尋常ならざる反復を行うことができないから才能という形に結実せず、したがってその道で大成できないのだと。

でもだいじょうぶ。人生はそんなに気張らなくても、一歩一歩前に進んでいれば何かの道は誰にでも開けてくるのです。ただしそれは自分でも思いもよらなかった方向のものであることも多いですが。その「思いもよらなかった方向」に向かうことができるかもしれない、という可能性を残しておくためにも、もしいま大学を辞めてしまおうと思っている方がいたら、私も「まずは落ち着きましょう」と声をかけたいです。


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