インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

あきらめる技術

ハ・ワン氏の『あやうく一生懸命生きるところだった』を読んでいたら、「ホンデ病」という言葉に出会いました。韓国で、美大を目指す受験生たちがかかる不治の病ーーというのはもちろん諧謔で、入試の競争率が極めて高い難関美大への挑戦を何年もくり返しては挫折することを指す言葉なんだとか。「ホンデ」は漢字で書けば「弘大」で、ソウルにある弘益大学校のこと。Wikipediaによれば「韓国全土から美術家・デザイナー・建築家・ミュージシャン志望の多くの学生を集めている。韓国を代表する美術家やデザイナーが多く輩出されており、芸術界やメディア界に一定の影響力を持つ」のだそうです。

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あやうく一生懸命生きるところだった

筆者のハ・ワン氏ご自身は、三浪した末に四度目で「ホンデ」に合格したそうですが、普通の大学受験ではありえないほどの浪人生活を送ってしまった理由をこう書いています。「美大の最高峰であるホンデへの合格が人生を変えてくれると信じていたから」、つまり「一流大学に入りさえすれば人生は必ず成功する」と思っていたから。でも実際に入学してみても何も変わらず「その考えがどれだけウブで単純なものだったのかわかるまでにそう時間はかからなかった」。そして当時を振り返ってこう総括するのです。

ほんの少し顔を上げて周囲を見渡すだけで、ほかの選択肢がいろいろとあると気づくのに、執着してしまうとそれが見えなくなる。たった一つ、この道だけが唯一の道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ。(翻訳は岡崎暢子氏)

なんとも含蓄に富む言葉ではありませんか。世の中「諦めたらそこでおしまい」とか「ネバー・ギブアップ」という言葉が絶対善のようにもてはやされていますけど、なにかに執着していると周りが見えなくなり、そこから抜け出せなくなる、多様な可能性に気づけなくなるということは往々にしてあると思います。

何を隠そう、私もかつて美大や芸大を目指した受験生でした。さいわいにも「ホンデ病」にはかからず一浪の末に美大に入学しましたが、そのぶん美術への熱が冷めるのも早かったように思います。いや、熱が冷めるも何も、自分に才能がないことをイヤというほど思い知ったのですけど。それはさておき、美大予備校には日本版「ホンデ病」とでもいうべき症状を呈している方が多くいたことを覚えています。日本の「ホンデ」に当たるのは東京藝術大学です。いまはどうだか知りませんが、当時は三浪、四浪は当たり前といった世界でした。当時予備校ではこんな自虐的な替え歌が流行していました。

発表を待つ君の横で僕は時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
藝大の発表はこれが三度目と
寂しそうに君がつぶやく
(中略)
いま春が来て君はきれいに散った
去年よりずっと見事に散った

イルカの『なごり雪』の替え歌ですね。これが受験生の心に刺さりまくって流行するくらい、「藝大病」に侵された浪人生がたくさんいたわけです。受験科目であるデッサンについても、こんな替え歌がありました。

形狂ってます
形にじゅうぶん注意をするのよ
調子もちょっぴり控えめにして
あなたは浪人でしょ うまく描かなきゃだめなの
講師の言うこと 気にしちゃいけないわ
上手に書くのよ 形狂ってます

敏いとうとハッピー&ブルーの『わたし祈ってます』ですか。時代を感じます。私としては、当時は当時でそれなりに情熱を持って受験に臨んでいましたし、あたら青春を無駄に過ごしたあの時期もまあなんというか愛おしくもありますし、才能はなかったまでも美術を学んだことがその後の人生の糧にもなっている(と思いたい)しで、特に後悔というほどのものはないのです。が、もう少し顔を上げて、視野を広くもつことができていたら、より風通しのいいところに行けていたかもしれないな、とは思います。

ハ・ワン氏は「懸命な人生を生きるうえでは、あきらめる技術も必要だ」と書かれています。そう、継続や努力や我慢の技術だけでなく、あきらめる技術、撤退する技術も身につけるべきなのだと。私は受験からもう何十年も経てしまった中高年のおじさんになっちゃいましたけど、いまでもこの「あきらめる技術」はうまく身につけることができていないように思います。

言語がするのが難しいのですが、「あきらめる」は何も100をゼロにすることだけではないですよね。美大受験で六浪も七浪もするような視野狭窄に陥ることなく、さまざまな執着の棘を注意深く一本一本取り除いていく技術、そういう「あきらめる技術」が自分のいまの仕事にも暮らしにも必要だと最近よく思います。いやこれは、なかなかに難しい技術かもしれません。