インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学の達人の言葉に注意する

先日、フィンランド語のオンライン講座に出ていたら(最近はずっとオンライン)、先生がかつての教え子でフィンランドに留学し、現在はあちらで結婚されている方の新聞記事を紹介してくれました。その生徒さんはその昔、私たちと同じように週に一回のフィンランド語講座に通ってある程度学んだあと、留学されたそうです。

先生いわく「週一回の教室通いという意味ではみなさんと全く同じ」。だけれどもその他の日の過ごし方がぜんぜん違っていたとのことでした。その新聞記事にも紹介されていた学習法によると、講座のない日も毎日三時間フィンランド語を勉強し、辞書を適当に開いて見つけた単語を片っ端から覚えていくというやりかたで5000語ほどの単語を暗記してしまったそう。ものすごい努力です。

そういう努力家のお話を聞くと、おお、自分も頑張らねばと思い、焦るのですが、同時にそれは無理だなと絶望的な気分にもなります。少なくともいまのような仕事と家事のやり方をしている限り、私が一日三時間の語学に使える勉強時間を捻出するのはまず不可能ですから。それでいきおい「ああもう仕事なんか辞めてしまいたい」などと思うのですが、ひとしきり妄想にふけったあと、また心の平静を取り戻してこうつぶやくのです。「人は人、自分は自分」だと。

そう、語学に限りませんけど、人と比べることには何の意味もないんですよね。人それぞれに抱えているものが違うし、人生のステージも違う。そりゃ極端なことを言えば中高年の私にだって他人と同じように一日二十四時間が与えられていますし、何かを始めるのに遅すぎるということはないのです。でも現実はそう甘くない。

結局私は「人は人、自分は自分」と割り切って、いま自分にできることを自分なりにやり続けていくことしかできません。昨日は「何かをあきらめるのには技術が必要」などと書いておいて矛盾するようですが、何も全部ダメだと投げ出してしまわなくてもいいのです。ロシア語の黒田龍之助氏が『外国語の水曜日』で書かれていたように、「外国語学習にとって最も大切なこと、それはやめないこと」なんですから。

qianchong.hatenablog.com

語学において「人は人、自分は自分」と割り切るため、私はSNSなどにある語学関係の書き込みやツイートに注意深く接するよう心がけています。SNSには数多の語学の達人がいて、それぞれの学習法や学習の成果を披露されています。それらはもちろん実体験から導き出された貴重な視点と成果ではあるのですが、あの人はこうやっている、この人はこうやっている……というのを読み続け、圧倒され続けているうちに、まるでそうしていない自分がとんでもない怠け者のように思えてきて、自己肯定感がどんどん削られていく。これはよろしくありません。

またこうした達人の言葉は、一種の高揚感をももたらすので注意が必要です。新しい語学書、それも「これまで挫折したあなたもきっとこの本で飛躍できる系」の語学書を見つけたとき、そこに書かれているメソッドが斬新かつ効果的に思え、なんだか自分が生まれ変わったような、ワクワクする明るい未来が待っているような妙な高揚感に包まれることがあります。これって「自己啓発本」を読んで包まれる高揚感と同種のものなんですよね。いわゆる「キャリアポルノ」というやつです。

でも語学の達人の箴言にせよ、新しいメソッドを謳う語学書にせよ、それをすべて自分に当てはめることはできません。上述したように人それぞれに抱えているものが違うし、人生のステージも違うからです。自分は自分で毎日なすべきことを一つ一つやっていけばいいし、またそれしか自分にはできないのです。

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