東京都現代美術館の石岡瑛子展を観に行ってきました。コロナ禍の「密」対策で入場時間帯を指定するチケットがウェブサイトで販売されていて利用したのですが、それが必要ないくらい人がいませんでした。展示室によっては私一人しかいない状態。
懐かしいPARCOや西武劇場や角川書店などの広告を皮切りに、映画やオペラの衣装など、圧倒的な展示の数々です。ほとんどの展示を一人で観ていたので、その圧倒的な美の洪水の中でちょっと怖くなるほどでした。どうしてこんなに観客が少ないのか理解できないほど、超絶にお勧めの展覧会です。
ほとんどの展示室では、石岡瑛子氏の肉声(インタビューの音声らしい)がずっと流れ続けています。その中でデザインのアイデアをまとめたメモやスケッチなどを見て、実際の作品に結実した形を見るのです。さらに壁面の大スクリーンでは動画がエンドレスで再生されており、展示室によっては音や光で演出もなされており、非常に凝った展示です。
こうした展示を観客の少ない中で観ることができるというのは至福のひとときでした。私はかねがね、日本の美術展は観客が多すぎてストレスばかりが募るので、最近はほとんど足が向いていませんでした。昔は(専攻していたこともあって)半ば義務のように美術館へ通い詰めていたのに……。図らずもコロナ禍で、上述のような入場制限や時間指定のチケットが登場したわけですが、これはいい方向なのではないかと思います。美術館としては採算が合わなくなって苦しいでしょうけれど。
それにしても、この圧倒的な展示を見ながらしみじみ感じたのは、1980年代の日本、つまりバブル景気に向かって上り詰めていっているときの日本の、芸術に対する圧倒的なお金のかけ方、その凄まじさです。もちろん今となってはそんなことはできないし、また当時にしたってそれがよかったのかどうかは意見の分かれるところでしょうけど、とにかくアートに元気があって、ある種の凄みさえあった時代だったんだなあって。
私はちょうどその頃大学に通っていましたが、当時の例えばセゾングループが傾倒していたアート路線、西武美術館やセゾン劇場、パルコ、アール・ヴィヴァン、WAVEなどの空気感は、ちょっと今では考えられないほどエキサイティングなもので、しかもお金に物を言わせて(?)海外から優れた作家や作品や公演を呼んできては紹介していて、今思い出しても身震いするほどです。そんなうねりの中で石岡瑛子氏は数々の優れた業績を残して行ったのでした。
大学の学生も、まあ美大だったということもあったのでしょうけど、まるで毎日がファッションショーのような雰囲気でした。ちょうど「DCブランド」の全盛期だったんですね。もっとも私は地味な彫刻専攻で、そうしたきらびやかなデザイン系の学生とは正反対に、いつも作業着やツナギのような服装ばかりでしたが。時代が違うと言えばそれまでですが、現代の日本はとてもシンプルかつ機能的にはなって洗練された反面、特にアート界隈はあまり元気がないように思われます。いや、じっさい経済的にも元気がないので、その反映ではあるんでしょうけど。
この展覧会で、個人的にひとつだけ、ちょっと気持ち悪くなった展示がありました。それは石岡氏が手掛けた2008年北京五輪開会式アトラクションにおける一部の衣装、その衣装を身にまとって行われたマスゲームの映像です。会場の解説によれば「考えたことの三割も実現できなかった」(うろおぼえです)そうですが、張芸謀(チャン・イーモウ)氏に協力して作られたこのシーン(琵琶を持つ男性たちが龍柱の上に立って登っていくところと、孔子の門弟らしき3000人の男性が竹簡を前に論語の言葉を唱和するところ)の映像を見ているうちに、なんだか吐き気を催してしまったのです。
Full Opening Ceremony from Beijing 2008 | Throwback Thursday
もちろん石岡氏の衣装のせいじゃありません。こうしたマスゲームを実現できてしまう中国の、ある種の気持ち悪さのせいです。SF小説『三体』の作家・劉慈欣氏はこの張芸謀氏の演出について、自身の作品に出てくる「人列コンピュータ」との類似性をインタビューで問われていましたが、確かに、あのマスゲームはそうしたまるで人間がCPUのチップになったような非人間性を感じさせます。私にはその非人間性が、現代の中国政府による非人道的・非民主的な施策の数々に重なってしまったというわけ。というわけで、早々にその展示室をあとにしました。
とにもかくにも、この圧倒的な美の前で言葉を失い、その美の後ろにある石岡氏の思考の細かさと突き詰め方に再度圧倒される……そんな展覧会でした。超絶におすすめです。ちょうど日本の現代美術作家の作品を紹介する「MOTアニュアル2020」もやっていて、こちらも観たのですが、ごめんなさい、そのあまりの「小ささ」と「小賢しさ」に失笑するしかありませんでした。石岡瑛子氏の、あの圧倒的な世界と比べるのもかわいそうですし、かつ申し訳なくもあるのですが。