インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

美術作品を見る側の成熟が足りないのかもしれない

ウェルビーイング(よく生きること)とは何か」をテーマにした『地球がまわる音を聴く』という展覧会を見てきました(森美術館・11月6日まで)。現代美術の展覧会、とくにコンセプチュアル・アートのそれは、身も蓋もない言い方をすれば「だから、何なの」という作品がほとんどです。

でもそれは、その作家のコンセプトが自分の「生」とは交わらなかっただけであって、しかたのないことなんです。美術作品に限らず、音楽でも文学でもおよそあらゆる芸術表現がそういうものであって、だからある展覧会に出品されている作品すべてがすてきだった! などということはありえないのでしょう。

もしあればそれこそ僥倖というものですが、少なくとも私は一人の作家の作品のみで構成されている個展以外で、そんな展覧会に巡り合ったことはありません。ですから個展以外の展覧会では、順路に従ってはじめからひとつづつ見る必要はないと思っています。事前に知った情報で「おめあて」の作品があれば、まずはそこに行ってじっくり見て、それから他の作品も回ってみるというのが好きです。

www.mori.art.museum

『地球がまわる音を聴く』展でのお目当ては、ヴォルフガング・ライプ(Wolfgang Laib)氏の作品でした。大量の花粉をあつめて床に敷き詰めたり*1、平滑に磨かれた白い大理石の上に表面張力で盛り上がる牛乳を広げたり*2、蜜蝋の壁で囲まれた小さな部屋を作ったり*3……非常に繊細な感覚とともに、はかない生命を感じさせるような彫刻(と言っていいのかどうかわかりませんが)を作る作家です。そしてなんと、今回の展覧会ではそれら3つの代表作がいずれも出品されていました。しかも会場を入ってすぐのスペースに。

例によってコロナ禍下での開催ということで日時指定の入場制限が行われており、比較的観客が少ない状態で見ることができました。ただ、牛乳を張った「ミルクストーン」の前には係員がいて、観客ひとりひとりに「非常に繊細な作品となっておりますのでご注意のうえご観覧ください」と声をかけていました。

蜜蝋の部屋でも「バックパックを身体の前にお持ちください。中の線より先には入らないでください。写真は部屋の外からしか撮れません」と声をかける係員が。いや、たしかに繊細すぎるくらい繊細な作品群なのでしかたがないとは思うのですが、これはもう現代美術の作品を鑑賞する雰囲気・シチュエーションではありません。どうしてこうなってしまうのかな。

花粉の作品にいたっては、なんと台の上に設置されていました。作家ご自身が承諾されてはいるのでしょうけれど、これは床に直接敷き詰めるからこそ大きな訴求力を持つ作品だと理解していたので、ちょっと残念でした。台座のようなものを作ってしまうことで、作品と見るものとの距離が強調されてしまい、作品自身のコンセプトがいささか損なわれてしまうのではないでしょうか。たぶんこれも観客がうっかり足を踏み入れたりしないようにという配慮なのでしょうね*4

いえ、森美術館はこうした現代美術の展示空間としてはまだ進んでいるほうです。必要以上に「ここまで」ラインを引いたりしないし、ロープや柵などで作品と観客を隔てたりもしないし。それでも、これくらいがいまのところの精一杯なんでしょうね。

海外でこうした現代美術のインスタレーションを見たことは数えるくらいしかありませんし、「出羽守」になるのも本望ではないのですが、こういう作品の展示のしかたを見ていると、やはり日本ではこうした作品の展示と鑑賞に関する「民度」、と言ったら言いすぎかな、「リテラシー」のようなものがまだ成熟していないのかなと思わざるを得ません。

「気をつけて見てください」「お手を触れないでください」「写真撮影は禁止です」のような注意喚起が必要ないくらいにまでなるのは、まだまだ先のことなのでしょう。せめて展覧会の入り口でまとめて注意喚起してくださるといいのにな(煙たがる向きもおありでしょうけど)。

*1:https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1315

*2:https://www.moma.org/multimedia/video/253/1251

*3:https://www.phillipscollection.org/collection/laib-wax-room

*4:MoMAの展示風景写真を見たら、そこでも台座のようなもの(ただし非常に薄いですが)が使われていました。