インタプリタかなくぎ流

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よめないけど、いいね!

昨日の日曜日は朝からジムのパーソナルトレーニングに行って、そのあとジムからほど近い根津美術館で企画展『よめないけど、いいね!』を見てきました。根津美術館が所蔵している書の名品を紹介する展覧会ですが、そこに書かれていることは読めなくても、墨色や料紙の美しさをはじめ、書全体をひとつの絵画のようにして鑑賞してみようという、野心的な試みです。

新型コロナウイルス感染症が拡大している影響からか、最近は入場日時を指定する必要がある展覧会が増えました。この『よめないけど、いいね!』も同じで、ネットから予約を行います。コロナ禍の影響でこういう手間が増えましたけど、こと美術展覧会に関しては私、とてもいいことだと思っています。

東京で行われる展覧会はとにかく、人が多すぎます。日時指定予約制になることで観覧できる人数は限られますし(場合によっては争奪戦も)、美術館側も収入が伸びないというデメリットはあると思いますが、ほんらい美術作品はたくさんの人の頭越しに背伸びしながらその一部だけを鑑賞するものじゃないですよね。

私はそれが嫌なので、美術展では開館時間と同時に入館し、一気に一番最後の部屋、あるいはその展覧会の目玉になっている作品(たいがい最後の方に展示されています)まで行って、まだほとんど誰もいない状態で鑑賞し、それから最初に戻って見る……というようなことをよくやっていました。でも今回は、ほんとうに落ちついて鑑賞できました。根津美術館、すばらしいです。

そしてまた、この企画展自体がとてもすばらしいものでした。書の名品を「よめなくてもいい」と言っちゃうのは玄人筋からは煙たがられるかもしれませんが、私のように書跡にも漢籍にもまったく通じていないような人間にとっては、むしろ絵画作品のように鑑賞するほうが心地よいです。それに作品ごとに活字化された内容も付されていますから、その気になれば「よむ」こともできます。

じっさい、読めないけれども美しい料紙に黒々とした墨色で記された文字の大群を追っていると、古代から人間がどれだけ文字に心血を注いできたのか、その情念みたいなものがこちらにも伝わってきて、なかなかに興奮いたしました。ほとんど「よめない」けど、最後のほうに展示されていた「百人一首帖」の一種だけは、知っている和歌だったので読めました(答えは受付カウンターでもらえるという粋な計らいつき)。

それと「居涇墨蹟 尺牘(きょけいぼくせき・せきとく)」という、東福寺の白雲慧暁という高僧がなくなったときに、かつての留学先(宋)の旧友が寄せた哀悼文が展示されているのですが、七言絶句の詩の部分はともかく、その前に書かれているお手紙の部分は中国語なので、ほぼ読むというか、意味をとることができました。これも個人的にはとても楽しかったです。

緑の濃い庭園に面したカフェで一休みもして(ここも入場制限のせいか混んでいません)、充実した休日になりました。この展覧会、おすすめです。