インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ミナを着て旅に出よう

先日、ファッションブランド「ミナ ペルホネン」のデザイナー、皆川明氏へのロングインタビューをまとめた『Hello!! Work 僕らの仕事のつくりかた、つづきかた。』という本を読んだので、もう一冊『ミナを着て旅に出よう』という本も読んでみました。こちらもインタビューを元に構成したもののようです。

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ミナを着て旅に出よう (文春文庫)

読んでいるとこのブランドの服がとても魅力的に思えてくるのですが、序文を寄せている松浦弥太郎氏によれば「メンズは皆川さんが自分で着る用のセーターを少しだけ作るくらいらしく、ほんの少しだけお店にならぶそうです」とのこと。同ブランドのオンラインサイトへ見に行ってみたら、若干のメンズ商品も売られていましたが、スタンダードな白いシャツでも30800円! う〜ん、私にはちょっと手が出ません。

それはさておき、この本の中で学校教育、とくに美術教育について書かれている部分に共感を覚えました。氏は文化服装学院でファッションデザインを学ばれたのですが、その前に美術大学を志したことがあったそうです。いまもそうだと思いますけど、美大を目指す学生さんはたいがい「美術予備校」というところに通います。

そこには受験生がたくさん来ていて、それぞれ絵を描いているんだけど、みんな志望校向けの絵を描いているんですね。例えば武蔵野美術大学に行きたい人は武蔵美向けのでっさん、東京芸大に入りたい人は芸大用のデッサンと粘土というように。志望校に入学するための絵を学んでいるというその状況を目にしたときに、正直言って美大に行くことすら、もしかしたら意味がないんじゃないかと思い始めてしまったんです。(36ページ)

私は皆川氏とほぼ同じ世代ですが、同じく美術予備校に通っていながら、そんなふうに考えることができるようになったのはもっとずっと年を取ってからでした。美術やデザイン、というかものつくり、あるいはクリエイション全体に対して向き不向きというものはあるのだな、そしてクリエイションには本当の意味での教養、物事の本質を見抜く力のようなものが必要なんだな、と改めて思います。

qianchong.hatenablog.com

そういうわけで氏は文化服装学院の夜学に通うのですが、そこでもこんな違和感を覚えていたそうです。

入学した文化服装学院は、最初から課題、課題、とにかく毎日課題が多い。授業の出席も厳しいし、とにかく課題を出さないことにはお話にならないという学校でした。僕は良いデザインをするためには、それこそ旅行に行ったり映画を見たり、もっと外を見ることが必要だと思っていたのに、普通に課題をこなしていたらまったくそういう時間が取れない状況でした。
(中略)
今の日本の学校は、学校であることを意識しすぎるがゆえにとても閉鎖的で、内輪受けな雰囲気を背負い込んでいると思います。また、課題に対する評価やコンテストなどは、実際の社会とな無関係なところでいろんなことを判断している気がします。(37ページ)

ここで語られているのはデザイン教育、それも特定の学校のそれではありますけど、他の分野の学校にもある程度共通している問題点かもしれません。もちろんカリキュラムとしてある程度のしばりを設けることは必要でしょうし、またそのように感じたのは才能あふれる氏だったからこそであり、すべての学生に敷衍できるものでもないでしょう。さらにもっと身も蓋もないことをいえば、学校だって経営という課題があって、そのためにはほんのひとにぎりのタレント(才能を持つ人という意味での)だけを相手にできるわけではありません。

それでも、課題や試験や評価のありかたについては、もうここ何年もいろいろな疑問を抱きつつ自分の教案を変えてきていたので、皆川氏の意見も興味深く読んだ次第。特に、大人になってから通う学校(私が勤めているのもそういう学校です)では、もっと「学校であることを意識しすぎる」ことから離れてもいいと思うんですよね。