公害を生みだしてしまったような「大量生産・大量消費」にあらがって「低生産・低消費」の生活を実践しながら模索する。それをテーマの一つに掲げて運営されていた水俣生活学校での生活は、とても楽しいものでした。
以前からやってみたかった、自分の身体を動かして生活必需品を生み出す活動のどれもがとても新鮮でした。農作業に見合った身体の動かし方そのものに馴染んでいませんでしたから、畑を耕すときの鍬や鎌の使い方一つでさえ、そのたびに自分の身体の使い方を何にも知らないという事実を思い知られるのです。
生活学校では野菜や米を作り、味噌を仕込み、菜種油をとり、どぶろくを造り、鶏を飼い、有精卵を生協に売り、薬草茶を作ってこれも売り、鶏を締めて食べ、天然酵母を仕込んでパンを焼きました。薪で一部の煮炊きをまかない、風呂も薪で沸かしました。排泄物や廃棄物から堆肥を作ることまで模索したのです。
作る喜びはもちろんあります。農薬や化学肥料を使わないから健康的でもあります。農産物を売るのは地産地消でもあります(その一方でやっていたみかんの産直は、結局大都会の消費者層だよりでしたが)。その意味では「低生産・低消費」の理念に近づけていたかもしれません。でも実際には、自給自足と呼ぶにはほど遠い状況で、物販や産直事業で得た現金収入と、田舎の安い物価・安い家賃に支えられて暮らしを回していたというのが実態だったかもしれません。
電気や水道、ガスなどのライフライン、市街地から離れた山の中腹まで引かれた舗装道路などのインフラ、そして田舎の生活では欠かすことのできない自動車(とガソリン)。そういったものにも支えられていたのは言うまでもありません。もちろん全くの荒野でゼロから暮らしを営み始めるなんてことはできず、既存のそうしたものに最初は頼りながらも漸進的に「低生産・低消費」へにじり寄っていこうという試みを否定するつもりはありません。
それでも当時の自分がしていたことは、結局はひとつの高尚な(そしていささか奇矯な)趣味の範疇をあまり超えてはいなかったのではないか、といまにして思います。私は当時編み物に凝っていて、毛糸の草木染めにまで手を出していました。そこからさらに進んで羊毛を紡ぐところまでやろうとしたのですが、それはさすがにやり過ぎであり贅沢な趣味でしかないと周囲からも諌められました。そもそも南国九州で羊など飼われていないんですから。
昨日引用したジョセフ・ヒース氏とアンドルー・ポター氏の共著『反逆の神話』には、こんな一節があります。
有史以来、人がパン屋でパンを買ってきているのには理由がある。少量のパン種を仕込んでパンを焼くのはすこぶる非効率で、割高で、時間を食う(環境に悪いのは言うまでもない)。つまり自家製パンというのは、必然的に少数の恵まれた(富も余暇も有り余っている)人たちのための活動である。(266ページ)
おおお、なんと手厳しい。そして北米では大企業による大量生産・大量消費のパンづくりに抗って、それぞれが手作りと手技の復権を試みた結果、その人気ぶりが「自家製風」パンの市場を育て、結果的に消費主義を一層活発に推し進める結果になったというのです(日本でも同じような状況かもしれません)。
もちろん趣味としてパンを焼くのはとても楽しいことです。私だって東京に戻ってからもパンを焼いていました。それは自分の暮らしを少なからず彩ってくれるものなので、否定するものではありません。ただそれが現代の資本主義や消費社会へのアンチテーゼとして語られ始め、しかもそれが真面目に広範囲に取り組まれれば取り組まれるほど「資本主義を肥え太らせる」(同書の帯の惹句より)というこの矛盾。
この本ではそういう一種倒錯したような行為を「消費主義を活性化するダウンシフト」と称して列挙している箇所があるのですが、そこにはなんと「自分で服を作る、ウールをすく、羊の毛を刈る」という項目もあります(269ページ)。まるでかつての自分を名指しされているみたいで心が折れそうなので引用しませんが……。
近年注目が集まっている「ミニマリズム」という生活スタイルについても、それは都会の充実したインフラや流通、情報テクノロジーがあるから実現できているにすぎないという批判があります。私はいまでも「低生産・低消費」や「ミニマリズム」(というより消費しすぎない暮らし)については大いに興味があり、実践もしたいと考えている人間ですが、それと社会の変革が本当に結びついているのかについては、かつての自分に欠けていた思慮深さを少しでも身につけつつ考えなければと思うのです。