インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神

資本主義と、これまでの資本主義が大いに寄りかかってきた大量生産大量消費の行き詰まりを見据えて、「脱資本主義の精神」をミニマリズムに求めてみるという野心的な一冊です。マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を本歌取りしたような書名からは一見難解な印象を受けますが、現代に生きる私たちがその忙しい日常に忙殺されながらもぼんやりと感じている「いまのこの消費社会ははたしてこのままでいいんだろうか」という不安に、一定の解と展望を与えようとする存在としてのミニマリズム(なかんずく消費ミニマリズム)を論じています。個人的にはとても心に刺さる一冊でした。

f:id:QianChong:20211126100126j:plain:w200
消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神 (筑摩選書)

というのも、私自身がきわめてミニマリズムに親和性の高い生活様式や思考方法をこれまでずっと志向してきたのだなあと、この本を読んで自己認識を新たにしたからです。この本では消費に関わるミニマリズムについて、先駆者から現代の実践者まで実にたくさんの「ミニマリスト」がまるで列伝のように登場し、その言動や著書が紹介され、分析されるのですが、私はここに出てきた方々の著書の大半を読んだことがあるか、あるいは現在も座右の書にしていることを発見したのでした。

そして定期的にまるで発作のようにミニマリズムに共鳴して、いわゆる「断捨離」や身辺の整理ないしはリセットを繰り返してきました。キャッシュレスやペーパーレスにひかれるのも同じような心性だと思います。ときにそれが行き過ぎて周囲の人々との摩擦の原因になったことさえありますが、それでも懲りずにそこに(ミニマリズムに)なにがしかの価値を見いだし志向してきたのです。この本にはそれがなぜなのかについての一定の理論的な裏付けが述べられていて、その点でも非常に腑に落ちる一冊でした。ミニマリズムの実践者による「ライフハック」のような本はあまた世に問われていて、私はそういう本を読むのも大好きですが(なにせ「大半」の類書を読み漁ってきましたから)、その背景にある思想や歴史を大きな視点で分析するこうした書籍もまた読んでいて本当に楽しいです。

しかもこれは消費ミニマリズムという点では本質的ではありませんが、おなじ「ミニマリズムくくり」で現代美術や現代音楽におけるミニマリズムについても触れられています。私はこれについても学生の頃からとても心をひかれていて、例えばドナルド・ジャッドの彫刻や、フランク・ステラマーク・ロスコの絵画や、スティーブ・ライヒの音楽などが大好きでした(今でも好きです)。

本を読みながら「この本はまるで自分に向かって語りかけているかのようだ」と思えることは、小説などではたまにありますが、こうした学術書でそれを感じたのは初めての体験でした。この本を読みながら、またまた人生で何度目かの大きな断捨離の波が押し寄せてきてしまいました。折しも年末の大掃除シーズン間近です。家族や同僚などとの軋轢を引き起こさないように注意しながら、それでもたぶんまた大胆に「やっちゃう」と思います。