インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

自分で考えること・自分の考えを持つこと

もうひとつ、渡辺恭二氏の発言集『幻のえにし』で、社会や政治の問題について述べているインタビューが心に残りました。渡辺氏は数年前に出た『さらば、政治よ: 旅の仲間へ』でも個人が政治にどう関わるかについてかなりシニカルなスタンスで語られていましたが、このインタビューでもそれは健在のようです。

一つの理想というものがそこでは実現はできないのであって、こうするのが次善の策であろうというふうな、この辺でなんとかやっていくしかないだろうというものしか作れないんですよ。そうすると、自分というものがこの世に生まれてきて満足するような人間のあり方というのは、一人一人が独立するしかないんですよ。(中略)それはどういう意味かというと、自分の考えを持つことなんですね。(253ページ)

渡辺氏自身はかつて左翼の立場から水俣病闘争などに深く関わってこられた方ですが、当時の著作でも一貫して「どこかで聞きかじったような台詞」を振りかざして政治に熱くなっている人々にかなりシニカルな視線を投げかけていました。私は氏とは年齢も背景も全く違いますし、氏の考え方に全面的に共感するものでもない(というより氏の博覧強記にこちらがとても追いつけない)のですが、現実の複雑な問題に対して血気に逸る物言いが充満しているネットを見ていると、結局はそこからある程度距離を置いて自分の中に「自分で考える」という核を持つより他に、この世をよりよく生きていくすべはないのだろうなと思います。

氏は、こうした「妄想」の渦巻くネットの世界に入り込まないことが大切、ともおっしゃっています。

自分が自分の主人公として独立する。そして、自分の考えは決して独創じゃないんだよね。これまでご先祖様が言ってきたこともあり、偉い人が書いている言葉があり、いろんな事で学んでいるんだけど、それでも自分が考えることは自分の理性で自分自身で考えていることだと言える世界を持つ事。これが自分になることね。(256ページ)

これらの発言はいずれもインタビューの中で語られたもので、編集者があまり手を入れることを良しとされなかったのか、ところどころ分かりにくかったり、前の発言の繰り返しであったり、前後のつながりがいまひとつ明晰でない部分も散見されます。またたぶん氏はネットを全く利用されておられない世代の方で、ネットの利と弊のうち「弊」ばかりを強調されすぎているようにも思えます。それでも私はここに、いまの自分の課題につながる大切なものを見いだした思いがしました。

冒頭に引用した「自分の考えを持つことなんですね」のあとには、こんな言葉が続いています。

自分の考えを持つ。僕らはすぐ社会的な流行に侵食されてしまう。例えば話し方自体も、すぐに社会の流行に影響を受けてしまう。例えばこれは一つの話し方なんだけども、「○○がー、○○してー」というのがある。こういう言い方は、三〇年前、あるいは二〇年前にもなかったんですよね。で、あっという間に、いまは全員がそれでしか話せなくなってるでしょ。こういう言い方だけは絶対俺はしまい、俺一人だけでもすまいと思うことですよ。(254ページ)

いわゆる「語尾上げ」というやつです。う〜ん、こういう矜持のありようはいいですね。自分の考えを持つというのは、そういうまずはこういう卑近なところから始まるのでしょう。ネットから適度に距離を置き、そのぶん本を読もう。本を読んで、自分の頭で考えよう。あらためてそう思わせてくれる一冊でした。

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