インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

増田みず子氏の『小説』

読み始めたら止まらなくなり、一気に読み終えました。読みながら何度も驚き、ちょっと怖くなりさえしました。まるで自分のことが書かれているようだったのです。著者の増田みず子氏は私よりも一まわりから二まわりも年上の女性で、これまでの経歴も環境も違いすぎるほど違うはず。なのに、この十年あまりの間に氏がぽつりぽつりと(本当にぽつりぽつりで、巻末の初出一覧を見ると、ほぼ一年に一作品しか発表されていません)書き継がれてきた短編の連なりが、自分のここ数年ほどの暮らしと(ほとんど気味が悪いくらいに)符合しているのです。

いや、ここまで符合するということは、これは逆に不思議でもなんでもないのかもしれません。つまり私のような五十歳代に突入し、還暦ももう間近という中高年にとって、あるいはこれは誰もがたどる心と身体の変化の軌跡なのかもしれないと。個々人によって変奏のされ方に多少のバリエーションはあっても、ここに綴られているお話は我々のこの年代に差し掛かった誰もが感じることなのかもしれません。

最初は三人称で、ほどなく一人称に移り、エッセイとも私小説とも、はたまた例えは悪いですが「職務経歴書」ともつかない文章が続いています。ここまであけすけに言っていいのだろうかと、ときに軽い嫌悪感すら抱きそうな中高年女性のひとり語り。なのに本の帯にあるようにそれが「心に沁み」て、「小説ってこんなものだった」と思わせてくれるのです。こんな小説ーー「ここに書かれているのは私だ!」と思えるようなーーは、久しぶりです。

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小説