身内以外の人を信用しないが、いちど身内扱いになるとどこまでも親切にしてくれる。なぜか見知らぬ人が突然話しかけてくる。子供に薄着をさせていると、見知らぬ人から叱られる。極端な格差社会で、ネットを遮断し、国内向けの世界に閉じこもっているように見える……。ああ、まさに中国と一緒だと思いました。でもこれは、最近ニュースの解説でよくお見かけする、ロシアの軍事や安全保障政策がご専門の小泉悠氏の『ロシア点描』に書かれていた内容です。
なるほど、私はロシアに行ったことがありませんが、かの地(といってもロシアは広大なので、ここではモスクワなど主に一番西側にある地域)の雰囲気は、私が曲がりなりにも「住んだことがある」と言える中国(これも広大なので、私が知っている北京を中心とした東北寄りの地域)にかなり似ていることを知りました。
モスクワは「大きな田舎」だというのも、とにかく寒いので商店の入り口が頑丈というのも笑いました。かつての中国の北京や天津にもそんなところがありましたねえ。冬は商店の入り口に防寒用の巨大な布団みたいなものが下がっていたなんて、いまのお若い中国人だって知らないかもしれません。かの地にはなにかこう、「土くさい」雰囲気があったんですよね。
アパートのベランダを各自がどんどん「魔改造」して、実質一部屋ぶん増やしちゃうというのも中国とまったく同じです(同僚の韓国人に聞くと、韓国もそうらしいです)。当局が検閲を隠そうとせず、むしろあからさまに検閲していることを知らせることで抑止効果を狙っているというのも。私も留学中はよく、いかにも「開封しましたよ!」とばかりに雑にテープが貼られた手紙や小包を受け取っていました。
その一方で、中国や中国の人たちとちょっと違うなという側面も知ることができました。例えば「ときどき『森』を補給しないと落ち着かないのがロシア人」というのは、なるほどと思いました。そういえば週末に田舎の別荘(というか農作業小屋、ダーチャでしたっけ)に行くのが楽しみという話は聞いたことがあります。このへんは北欧の人々に近いのかもしれません。
また、こうした市井の人々の暮らしだけでなく、権力や権力者のありようについても小泉氏の観点が披露されています。特にプーチン氏が大国、それも独自の国際的立ち位置を持つことができる国だけが主権国家だと思っているフシがある(日本はもちろん、アメリカの属国という位置づけですから、その地位にはありません)というのは、あの「北方領土」交渉などを見ていてもよくわかります。
しかし、重要なのは、これが国際政治の全てではないということです。プーチンは軍事的に独立していない国家を「半主権国家」扱いしますが、現実の国際政治はもちろん力の論理だけで動いているわけではありません。むしろ、経済力、科学技術力、ソフトパワーといった非軍事的な要素の重要性は高まるばかりですし、環境とか人権とか、力の論理とは大きく異なる論理も無視できません。(167ページ)
なるほど、そういう視点を持たない、持とうとしないのがプーチン・ロシアの特徴であり、いささか時代遅れの側面でもあるのですね。さらに小泉氏は「アイデンティティの持つ力というものに、プーチンは非常に鈍感であるように見えます」ともおっしゃっています。みずからのアイデンティティにはあれほどこだわるのに、他者のアイデンディディには驚くほど粗雑な感性しか持っていない。これは習近平氏をはじめとする中国のいまの指導層にも言えることでしょう。
あとがきで小泉氏は、ご自身がロシアの軍事を研究していることから、現在の情勢のロシアにはもう危険で行くことができないとしたうえで「私が『ロシアの今』について語ることはあまり誠実ではないでしょう」と書かれています。いま現在の「空気感」がわからないのだと。
私も同じことを考えていました。私は別に中国の利害に関係する仕事をしているわけではないので、いま中国に行っても特に何もリスクはないと思いますが、それでもここ数年、コロナ以前から中国へは行くことができていません。上述したような北京や天津の雰囲気だって、すでにもう十数年から数十年前の話になってしまいました。だから私にも「いまの中国」を語る資格はまったくないのです。
それでもこの本を拝見してロシアのことを(ほんの表面的にではありますが)知ってみると、ああこれは中国とかなりよく似ているなあ、となれば、今後のかの国の動きもひょっとして……とよからぬ妄想が働きます。
ただ、それは脇に置くとしても、ふだん報道に接しているだけではよくわからないロシアの素顔を知ることができたのはよかったと思います。なにせ国や政府や権力者のふるまいを直接その国の市民にまで敷衍して好き嫌いを語る手合いが私たちの周りは多すぎ、ともすれば自分にもそういうバイアスがかかってしまいそうになりますから。