インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「この世には本当にバカがいるもんだ」をめぐって

カズオ・イシグロ氏へのインタビュー記事が話題になっていました。

toyokeizai.net

ブレグジットにしても、トランプ主義の台頭にしても、中には半分ジョークを交えながら、「この世には本当にバカがいるもんだ」と怒る人もいます。しかし、私たちはその先にあるものを考えないといけません。そこで起こっている重要なことに気がつかないといけないのです。


俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。

この一段は、私にもとても腑に落ちる意見でした。私もまさに、私の周囲の人々と一緒になって、そうした世界情勢について「この世には本当にバカがいるもんだ」と揶揄し合って溜飲を下げてい(る気になってい)た一人だったからです。イシグロ氏は、こうも言います。

私たちはなんとかしてコミュニケーションの手段を考えないといけないと思います。これまで自分と考えが違う人は見えない人、存在しない人だったかもしれませんが、私たちは世界の多くの人々だけなく、自分が住むコミュニティの中でさえ自分とは違う世界があることをもっと強く認識しなければならない。芸術やジャーナリズムにかかわる人はもっとこのことを意識すべきです。
(中略)
私たちにはリベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術も必要です。つまり多様性ということです。これは、さまざまな民族的バックグラウンドを持つ人がそれぞれの経験を語るという意味の多様性ではなく、例えばトランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性です。

つまりは、リベラルと呼ばれる(あるいは自称する)人々と、それとは相容れない考え方の人々との間に、とてつもなく大きな断絶が生じているということですよね。そしてそれを多少なりとも埋め戻す、あるいはお互いに架橋する手段を考えなければ、世界はもっと悪い方向に向かっていくかもしれないと。「この世には本当にバカがいるもんだ」などと言っている場合ではないと。

このインタビューに関しては、白饅頭こと御田寺圭氏が「現代のリベラリストや人文学者たちが陥っている自己矛盾」を指摘したものだと評する文章を発表されていました。

gendai.ismedia.jp

リベラリストが考える「多様性」に含まれないものは、社会的に寛容に扱われる必要もないし、内容によっては自由を享受することも許されるべきではない――それが彼らのロジックである。今日のリベラリストは「多様性」や「反差別」を謳うが、その実自身のイデオロギーを受け入れない者を多様性の枠組みから排除する口実や、特定の者を排除しても「差別に当たらない」と正当化するためのロジックを磨き上げることばかりにご執心のようだ。

これも非常に考えさせられる指摘です。「この世には本当にバカがいるもんだ」と切って捨てる態度には、この世の多様性について想像する努力を自ら放棄する身勝手な態度がセットでくっついている。イシグロ氏の言う「トランプ支持者やブレグジットを選んだ人の世界を誠実に、そして正確に語るといった多様性」への理解、そのための努力を最初から放棄しているわけですね。

私はこの二つの文章を読んで、たまたま同じ日に読んでいた井上純一氏のマンガ『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』にもこれと通底する話が出てきたことに驚きました。それはトマ・ピケティ氏が「いまの世界には二つの勢力がある」と主張するところの「バラモン左翼」と「ビジネスエリート右翼」です。いずれも大衆から離れたところにある左右のエリート層への大衆からの反発(特に経済的に冷遇されていることに対する反発)がトランプ現象やブレグジットの背景にあると。そしてまた、大衆から遠い一部エリートの理想から繰り出される経済政策に大多数の人々が影響を受けるのだと。

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▲『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』144〜145ページ

この「バラモン左翼」というネーミングは、大衆から遊離したインテリの形容として本当に秀逸だなあと思いました。ピケティ氏はこの言葉を登場させた論文『Brahmin Left vs Merchant Right: Rising Inequality & the Changing Structure of Political Conflict』を2018年に発表していて、日本でもあちこちで話題になっていたそうですが、私は不明にして初めて知りました。ネットの情報によると邦訳が現在進行中だそうです。英語で読む力は私にはないので、出版が待ち遠しいです。

そしてまた、この「バラモン左翼」という視点を加味して、自らの社会や政治や経済に対するスタンスや立ち位置を見直してみることはとても大切ではないかと思った次第です。また読みたくなる本がいろいろと増えました。まずは先日購入して積ん読になっているカズオ・イシグロ氏の新作『クララとお日さま』から始めることにします。