インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ウクライナ侵攻と報道

ロシアによるウクライナ侵攻に関して、「多分に情緒的で勧善懲悪的な報道にはちょっと『うんざり』」していると先日書きました。
qianchong.hatenablog.com
それで大手メディア発ではない情報にもいろいろ触れようと意識してきたのですが、今朝はその大手メディアのひとつである東京新聞に、とても考えさせられる記事が載っていました。同紙に定期的にコラムを書かれている師岡カリーマ・エルサムニー氏の寄稿です。

もともとは雑誌『世界』の臨時増刊号に巻頭言として載せられたものだそうですが、その一部を許可を得て転載したのだとか。見開き一面、ほぼ新聞1ページぶんの記事がそのまま他社で発表された文章(の抜粋)というのもめずらしいのではないかと思いますが、それだけ師岡カリーマ氏の主張に東京新聞の編集子氏が共鳴されたということなのでしょう。

ロシアとウクライナに対するスタンスは基本的に欧米メディアと同じだが、BBCなどの一部記者に見られる、詩的な言葉遣いでやや自己陶酔の気がある勿体ぶった戦争報道に辟易していた私から見ると、アルジャジーラのほうが客観的だ。

アルジャジーラの報道、とりわけ戦争や紛争に関する報道の独特さと、タブーを恐れず議論を喚起するスタンスについてはつとに聞き及んでいましたが、今回の事態に対してもきわめて積極的に踏み込んだ報道がなされているようです。ああ、アラビア語は無理でも、やはりアルジャジーラ・インターナショナルをさくさく読んだり視聴したりできるくらいの英語力は必要ですね……。

誰が加害者で、誰が被害者か、白黒のつけやすさゆえに、世界は自ら考えるという労を要さない安易な勧善懲悪の悦に浸りすぎてはいないか。加害者ロシアは独裁国家プロパガンダ常習犯だからその言い分はすべて虚偽であり、被害者ウクライナとその支援国が言うことはすべて信じられるという安易な確信に甘んじ、安全な距離から感傷と独善に浸っていないか。これほど簡単に正しい側につける紛争はめずらしい。それをいいことに、メディアも政治も私たち市民も、考えることを放棄していないか。

師岡カリーマ氏がみごとに言語化されているように、今回の事態で私がいちばん「もやもや」としているのは、まさにここです。もちろん侵攻をはじめた側のロシアに、そしてその最高責任者であるプーチン氏が強い批難に値することは言うまでもありませんが、大手メディアの報道に接したり、ネットでの議論を仄聞したりするたびに、そこで思考が停止してしまっているのではないかと思うことが多々あります。

戦争は外交の失敗であるとよく言われますが、であれば今回の事態もロシアとウクライナにとどまらず、その他の大国やその周辺の国々、もちろん私たちの日本も含めた国際社会の様々な矛盾や瑕疵がもたらしたものと捉えることができるでしょうし、またそう捉えるべきだとも思います。

なんと、雑誌『世界』のこの巻頭言は、Amazonの同雑誌購入ページの「試し読み」で全文読めてしまいます。東京新聞を購読されていない方はぜひこちらを。東京新聞版には載っていない、指揮者パーヴォ・ヤルヴィ氏のエピソードと、その行動に感銘を受けて書かれた師岡カリーマ氏のコラム、さらにその後のSNSにおける反応についても書かれており、特にそうしたSNSの反応がまさに今時の戦争における「白黒のつけやすさ」や「安易な勧善懲悪」の弊と密接に結びついていることを強く感じさせてくれます。

あ、ちなみに私、巻頭言だけタダで読ませていただくのは申し訳ないので、この臨時増刊号を購入いたしました。


『世界』臨時増刊 ウクライナ侵略戦争――世界秩序の危機