インタプリタかなくぎ流

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筋トレとの距離感

ネットで検索をしているときに偶然見つけた、朝日新聞デジタルマガジン&[and]の「筋トレとの距離感」という連載記事を興味深く読みました。「筋トレブーム」にどちらかというと懐疑的な見かたをする、あるいは冷静な対応を勧める「筋トレ関係者」の意見を紹介したインタビューのシリーズです。

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いずれの記事もうなずくところが多くありましたが、なかでも哲学者の千葉雅也氏がおっしゃっていた「権力による身体の支配に対して、いかに自己準拠的な身体を取り戻すか」という一節はとても腑に落ちる筋トレの捉え方でした。

高校までの体育の先生って、生活指導的というか威嚇的なタイプか、あるいは逆に何もしない、「遊んでていいよ」というタイプに分かれがちで、生徒の身体のどこがうまく動かないかを把握した上で、分析的にそこに介入するような先生はなかなかいないじゃないですか。もちろん東大の先生もそこまでしてくれたわけじゃないけど、自分で自分の身体をもっとほぐしていって、より動けるようになるよう後押ししてくれました。それをきっかけに、自分でもジムに通ってみようと思っていました。


――たしかに、私の周囲でも大人になってパーソナルトレーニングを経験して、「私は運動が嫌いなのではなく、体育の先生が嫌いだったんだ」と気がついた人が複数います。

私も「体育」の授業がことのほか苦手だったので同感です。そして長らく運動嫌いだった私が現在「週五」でジム通いをするようになった理由は、どんどん不調が顕在化していく自分の身体に対して、それを能動的に動かすことで軽快させることができるという点に、パーソナルトレーニングで気づかせてもらったからでした。

現在のところインタビューのシリーズには五本の記事が掲載されていますが、そこに通底している筋トレへの懐疑ないしは留保は、「トレーニングが人生に成功をもたらす」、「トレーニングはビジネスに効く」といったたぐいの自己啓発的な、あるいは功利的な筋トレの捉えられ方です。私自身もトレーニングをしながらつい、そういったキャリアポルノ的な高揚感にひたりそうになることがあります。

でも自分がトレーニングを始めていままで続けてきたのは、そんな理由ではなかったはずなのです。腰痛や肩こりや不定愁訴などの身体の不調を解消して、年をとってもそこそこ健康でいられるように……というのも功利的といえば功利的ですが、それまでの人生では気づくことのなかった自分の身体の使い方を、自分で意識し把握できるようになったというのは、とても大きなことだったといまにして思います。身体の衰えが完全に不可避なものではなく、ある程度は自分で意識的に主体的に調整していけるものなのだとわかっただけでも、身体はもちろん精神的にも大きな安らぎを得られたような気がしています。

このインタビューシリーズに掲載されている諸賢にならって、今年も変な高揚感に浸ることなくトレーニングを続けていこうと思います。千葉氏はインタビューの最後に「筋トレと成功哲学の結びつきには、僕はネガティブです」として、続けてこうおっしゃっています。「だから僕は、それとは別の、自分自身の身体を再発見するための筋トレを考えていく。そのための簡単な原則は、『人と競わない』ってことですね」。これも、まったくもって同感です。

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https://www.irasutoya.com/2015/06/blog-post_383.html