インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

コロナ後の「中国的なもの」に対するヘイトを憂慮する

「こんなたちの悪いウイルスは経験したことがありません」。神戸大学医学研究科感染症内科教授の岩田健太郎氏がご自身のブログでおっしゃっていました。「人々を油断させ、『ただの風邪』だと思わせ、世界中に、そして日本中にウイルスを撒き散らし、確実に多くの人たちを殺していきます。油断した人間を使ってウイルスを拡散させるのです」と。

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今回のコロナ禍が始まってから一年あまり。それまで想像もしなかったような異様な空気の中で過ごす毎日が続いています。そこまで強烈な症状を引き起こす感染症のようではなさそうなのに、いざそれまでのように社会生活を営もうとすると「これはだめ」「あれもできない」と予想外の制約がかかる。特殊な環境に閉じ込められた人々の心理を描くスティーブン・キングの『ザ・ドーム』や『霧』(そしてフランク・ダラボン監督によるその映画化作品『ミスト』)を彷彿とさせます。

それでもあと何年か経てば、この異様な毎日も徐々に平穏な日々へと戻っていくでしょう。そして「大変な日々だったね」と振り返る時が来ると信じています。ただそのコロナ後の世界は、いまとかなり変わった状況になっているのではないかとも想像します。願わくは人類がこれを教訓により国際協調を推し進めていってほしいものですが、少々暗い予想も抱かざるをえません。

それは中国に対する風当たりです。今次の新型コロナウイルスの発生源は一体どこだったのか、いまだに科学的な証拠は見つかっていませんが、時系列的に眺めれば現在のところは多くの人がそれを中国に求めていることでしょう。もちろん、もっと巨視的に眺めれば、こうした新しい病原体の登場は、地球全体の環境の変化や人類の経済活動がもたらしたもの、つまり人類全体の問題・課題として捉えることができるはず。ところが、ここまで被害が甚大だと、多くの人はそこまで冷静になれないようです。

かくして、米国のトランプ大統領を筆頭に「中国憎し」を公言する人が増えました。しかも折悪しく、新型コロナウイルス感染症の拡大と並行して、中国政府(中国共産党)が香港でも、新疆ウイグル自治区でも、チベット自治区でも、内モンゴル自治区でも、そして台湾に向けても、その他の国々に対しても、極めて強硬かつ剣呑な政策を推し進めています。火種がありすぎです。

私は先ほど「中国に対する風当たり」と書きました。でもその「中国」とは具体的に何を指しているのか。それを考えることなく、中国という国家も、政府も、中国人も、中国の文化も、およそ「中国的なもの」すべてを雑駁に混ぜ合わた「ぼわっ」とした総体に対して、憎しみなり憤懣やるかたない気持ちなりをぶつける人々が登場しているようなのです。

先日もTwitterでこんなツイートに接しました。学校法人桐朋学園が運営している「柴田南雄音楽評論賞」において、去年(2020年・第7回)の講評を選考委員長である文芸評論家の三浦雅士氏が書いているのですが、その内容が「びっくり」であると。

応募原稿の少なからざる量が、今回のパンデミックに言及している。オーケストラもバレエ団もいまや壊滅的打撃を受けているのだ。だが、日本人の美徳というべきか、中国共産党に対する批判は控えられている。私は逆に中国共産党マルクス主義に関してこそ、その責任を鋭く追及すべきだと思っているが、それは、中国共産党が成立してこの七〇年、「音楽の内面空間」などにはおよそ関心を払ってこなかったことに端的に示されていると思うからである。李白杜甫で有名なこの国がかくも長く文学や芸術などいっさい生み出してこなかったことにもっと驚くべきなのだ。中国人民の人生、推して知るべしである。

確かにとんでもない暴言ですが、この前段で語られているように今次のコロナ禍の責任をまずは中国共産党に向け、返す刀で中国人や中国的なもの全般に対するヘイトへと転化する動きは私の周辺でも感じます。そして今後それがさらに亢進していくのではないかとも。要注意だと思っています。

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https://www.irasutoya.com/2016/10/blog-post_858.html

ここ最近の事象に限っても、新型コロナの起源を調べるWHO調査団が中国当局から入国拒否されていること、台湾が中国の圧力でWHOオブザーバー参加すら認められないこと、その一方で感染封じ込めが奏功して中国の人々が日常生活を謳歌していること……全てが妬み嫉みに向かいそうで危うい。そこに加えて、ここのところの中国政府による強硬かつ剣呑な政策の数々。私たちの中で、中国政府と中国人、あるいは「中国的なもの」をきちんと分けて考える理性が保たれるかどうか。

先日アメリカのポンペオ国務長官が米台当局者間の接触に関する自主規制を解除すると発表したのも、おやっと思いました。これはまだ小さな動きですが、政治や経済の各側面で、今後“no more”と一歩踏み出す国が増えるのではないかと予想します。コロナ禍で散々苦労してきた経験が、中国という国、中国政府との関係を冷静に見つめ直させることになるのではないか。これまでその巨大なプレゼンスに圧力を感じながらも主に経済的な理由から「どっちつかず」な態度で来た国々が、より明快な態度に出はじめるのではないか。

www.state.gov

政治や経済の大きな流れを予測するなど私にはできませんが、それでもコロナ後の世界がこれまでとはかなり変わったものになるのではないか、少なくともそういう心構えを今からしておく必要があるのではないかと考えます。そして、とりあえず私は自分の仕事に関わる身近な問題として、「中国的なもの」あるいは「中国人」や「華人」に対するヘイトについて注意をはらい、必要があればそれらに対して「おかしい」「やめなさい」と声を上げて行動しなければいけないと思っています。