インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

文部科学省の「現金給付、留学生は上位3割限定」を恥ずかしく思う

新型コロナウイルス感染症の影響でアルバイトなどができず、学費やオンライン授業への対応(通信費など)で苦慮している学生さんに最大20万円の現金給付を行う支援策が検討されています。この給付について文部科学省が「外国人留学生に限って成績上位三割程度のみとする」と通達しているとの記事を読みました。

this.kiji.is

文部科学省の説明は「いずれ母国に帰る留学生が多い中、日本に将来貢献するような有為な人材に限る要件を定めた」とのこと。私はこれを読んで思わず天を仰ぎました。何という近視眼的な発想、何という人間に対する想像力のなさでしょうか。

この困難な時期というのは、新型コロナウイルス感染症もさることがなら、この国がこれからじわじわと縮小していく「下り坂」に差し掛かって、これまでのように海外から視線を向けてもらいにくくなっているここ数年、十数年の経緯も含んでのことです。各国が留学生の獲得と自らの言語的プレゼンス拡大に躍起になっている中、わざわざ日本を選んで、あるいは日本が好きで留学してくださる留学生という存在が、今とこれからの日本にとってどれだけ大切なことか。

平成30年5月1日現在の留学生数は298980人(日本学生支援機構)。1人20万円支給しても約600億円。アベノマスクに466億円つぎ込むくらいなら、日本と縁を持ってくださる外国人を1人でも増やすほうがよほど「国益」にもかないます。

本当はあまり「国益」なんてナマな言葉は使いたくないけれど、留学生の存在はその国にとってかけがえのない「資産」(これもナマな言葉ですね)なんです。日本で学び、日本の良いところも悪いところも知悉した人々の多さが、私たちをより豊かで開かれた存在にしてくれるのです。文部科学省の説明には、そうした長期的な視点に立った、豊かな国際関係観と人間観が決定的に欠けています。近視眼的で想像力がないという所以です。

私はかつて中国(中華人民共和国)政府の奨学金を得て、かの国に留学しました。一年間、学費も宿舎費も無料で、毎月の「お小遣い(生活費+α)」もいただきました。当時私はすでに社会人でした(貯金ゼロの貧乏サラリーマンでしたが)が、社会人であっても試験をパスしさえすれば、奨学金をもらうことができたのです。しかも中国と日本の経済的な格差がまだ歴然としていた頃の話です。経済的には苦しくても、中国は長期的な視野に立って、自国を理解してくれる人材をせっせと招き入れていたわけです。このあたり、現在の中国には久しく見られなくなった、古き良き「大人(たいじん)」的な風格を感じます。

もちろん留学生を受け入れ、支援することがすべてそうした国益やら長期的な視点やら国際的な戦略やらに還元されるものではありません。また留学生にだって真面目な方もいれば、物見遊山的な方もいるでしょう。それは世界中どの国や地域に行っても同じだと思います。それでも、学業の成就・未成就に関わらず、一定期間その国に留学した人は、その国の理解者になります。そこに暮らす以上、ならざるを得ない。そうした理解者が、なおもその国にとどまるか、自国に帰ってしまうかはわかりません。それでも世界中にそういう「知日者」が数多く存在していることが、どれだけ私たちにとって心強いことか。

励ましは時に辛辣な批判という形を取ることもあるでしょう。でもそれもまた私たちを間違った方向に進ませないための、より豊かで幸せに暮らすための一助になるはずです。私は中国に留学している時に、現地の人々(学生のみならず、いろいろな人に会いました)と話していて「善意の批判」をできること、受け入れられることが人としての、そして国にとっても真の強さだと思いました。

f:id:QianChong:20200521093150p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/04/blog-post_90.html

国の強さで思い出すのは、当時上映されていた張芸謀チャン・イーモウ)監督の映画《一個都不能少(邦題:あの子を探して)》を見たときのことです。見終わって私は、中国国内で貧困ゆえに学校に通えない子供がいるなか、私のような外国人が奨学金をもらって留学なんかさせてもらっていいのだろうかという「ひっかかり」を覚えて、そのことを中国人の友人に話したのでした(私にもそういう若い時代があったのだ……)。

それを聞いた友人はこう言いました。「それはまた別の話でしょ。アンタが中国で学んだあと、もしかしたら中日の交流に関わる仕事をするかもしれない。それだってウチの国に対する『貢献』だよ。仮にアンタがそうならなかったとしても、少なくともウチの国をよく知った人物を一人生み出すことができる」。そして、“總有一天,你會以自己的方式報答中國的,你說是不是?(それにいつの日か、あんたはあんたなりの方法で中国に「報いる」ことができる。そうじゃない?)”とつけ加えたのでした。

一大学生だったその友人にして、この「大人」的な達観と長期的な視野。かの国が強い理由はこんなところにもある。私はこの言葉をずっと反芻し続けているだけに、今回の文部科学省の方針には心底落胆し、情けなく、恥ずかしく思うものです。