授業の間の休み時間に、同僚がこんなことを言っていました。「留学生のみなさんは、こんな日本の、東京の、どこに魅力を感じているんでしょうね」。うちの学校の留学生は、その多くが日本での就職を目指しているのですが、昨今は日本の学生だってなかなか希望する仕事に就けない時代。ましてや非日本語母語話者にことのほか評価の厳しい企業が多い現状では、留学生の就職難は日本の学生をはるかに上回ります。
先日も日経新聞にこんな記事が載っていました。一時的に滞在している留学生ではなく、日本に定住している外国人でさえ、正社員になかなかなれず、海外の人材がますます日本を敬遠する要因になっているのではないかというお話です。
確かに。うちの学校の留学生のなかには、母国で一定期間社会人として働いてから日本に留学している人も多いのですが、日本の給与レベルの低さにはいちように驚いています。また自身の強みである複数の語学を活かそうにも、言語に関するスキルをこれまたことのほか軽視する傾向の強い企業が多い現状では、就活においてあまり有利に働かないのです。上掲の記事でも「来日前の学歴や職歴は評価されにくく非正規採用の外国人を育てようという企業意識も低い」という専門家の意見が紹介されていました。
こんなはずじゃなかった、と夢破れて帰国していく留学生も多いです。教師という立場にいるものとしては、なんともやりきれない気持ちでいっぱいになります。せっかく日本になにがしかの魅力を感じて、わざわざ留学まで志してくださったのだから、できることなら日本のことを好きになってもらいたい。
でもまあ、それは詮ない望みなのでしょう。私だって、かつて中国に留学しましたが、留学前に思い描いていた多分に美化されたかの国のイメージはずいぶん変わりました。現地に暮らし、現地の人たちと話をしながら、良くも悪くも深く実情を知るなかで、それまでとはまったく違う中国像が自分のなかに生まれました。誤解を恐れずに言えばそれは「大好きだけど大嫌い」という愛憎相半ばする感覚です。
そう、それが現実なんですよね。どんな場所に暮らしていようと、そこには大好きな一面もあれば大嫌いな一面もある。それをむりやり美しい面だけあれこれ糊塗して(「日本スゴイ」みたいなね)、とにかく好きになってもらわなきゃと思う必要はないし、そんなことは不可能なのです。それに一度日本に失望して離れたとしても、また何年か何十年か後にその時の経験がきっかけとなってご縁が生まれるかもしれない。それを願って日々留学生のみなさんと向き合うことしか、私にできることはないのでしょう。