インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

まるまる二年

髪を切りに行きました。いつも行っているお店ですが、コロナ禍に入ってからというもの、マスクをしたまま髪を切ってもらったり、洗ってもらったりという状態が続いています。今日はお店のスタッフさんから「そういえば、この騒動に突入してからもう二年経ったんですね」と言われました。そうか、もうそんなに経ってしまいましたか。

二年前の今日はどんなふうな日常だったかなと自分のブログを見てみたら(毎日書いているので、こういうときは便利です)、ちょうど「武漢新型肺炎」が騒がれだして、中国や中国人に対する差別的な物言いが顕在化してきたことを書いていました。

qianchong.hatenablog.com

ああ、ありましたね、そういう動きが。それからあっという間に世界中に広がって、ずっと「withコロナ」の状態が続いています。一時期外交上の応酬なども行われていた「どこが発祥の感染症なのか」という話題は、ほとんど人々の意識に上がらなくなったようです。そんなこと言ってる場合じゃない、人類全体がこの困難に向き合っていかなきゃならないという感じですか。

しかし私は、この二年余りのコロナ禍の、その水面下でひょっとすると人々の意識に大きな変化が起こったかもしれないと、なんとなく不安な気持ちを抱えています。現在のオミクロン株の大流行がやがて収束し、新型コロナウイルスが既存のインフルエンザ並みの疾患になっていった先に、またぞろ「そもどこ発祥だったのか」が蒸し返され、それに基づくヘイトが復活してくるかもしれないと。これについてはちょうど一年ほど前にもブログを書いたことがありました。

qianchong.hatenablog.com

杞憂であればもちろんいいのですが、なにせ「かの国」の最近の動きはとにかく見ちゃいられません。そんな「かの国」の今とこれからのありようが、「afterコロナ」におけるより強烈なヘイトにつながりはしないだろうかと案じつつ、もしそういう動静になったら自分はどう考えてどう動くだろうかというシミュレーションをひとり始めているところです。

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https://www.irasutoya.com/2021/01/blog-post_26.html