インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

空気を読む留学生

先日、ジムで休憩している時にトレーナーさんから「若い人たちがとにかく『空気を読む』んですけど、アレはなんなんでしょうね」と聞かれました。このトレーナーさんも30歳代でお若いのですが、20歳代前半のトレーナーさんたちに研修をする立場なのだそうです。その研修の際に「若い人が、とにかく空気を読みまくる」と。

10名ほどいる研修生を前に、例えば「胸の筋肉に効く運動を挙げてみて」と聞いても、全員が空気を読んで発言しなかったのだとか。胸の運動だから「ベンチプレス」でも、何なら「腕立て伏せ」でもいいのに、誰も口火を切って発言しない。ところが、ペアになってトレーニング指導やストレッチの実習になると、とても活き活きと話しだすので、その温度差に驚いたということでした。

ペアになると活き活き話すけれども、大勢の前では「空気を読む」。不思議ではありますけど、私も日々若い人たちの前で授業をしていて、同じようなことを感じていたのでとても興味深く思いました。ペアの時は生徒同士だから対等の関係で話しやすいけれど、教師と「一対多数」で向き合っているときは上下の関係というか彼我の知識差みたいなものがあって億劫になる上に、お互いに牽制し合って発言しにくいということなんでしょうか。

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https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_267.html

一時期「欲がなく、無駄な努力をせず、人との衝突を避けたがる」のが特徴の「さとり世代」という言葉が話題になったことがありました。上述のような若い人たちの特長とはまた少し異なっていますし、世代でひとくくりにしてしまうのも雑駁ではあると思うものの、なにかこう、人より率先しようとはしないとか、あえてリスクを取ろうとはしないという点では共通しているようにも思えます。

しかしこれは、世代の違いというよりも、文化背景によるのかもしれません。日本語学校の先生方によれば、上記のような「空気を読みまくる」状況はアジアの学生に広く見られる現象だそうです(逆に欧米系などアジア以外の学生は「空気を読まなさすぎる」とか)。教師と学生にはもともと知識差のヒエラルキーみたいなものがある上に、アジアの国々では教室内の空気や秩序を乱さぬよう幼い頃から口やかましく言われているからではないかと。

「和を以て貴しとなす」は日本の専売特許のように思われていて、多くの日本人は華人(チャイニーズ)の人々に対して、どちらかというと欧米風の個人主義に近くて、とにかく個人の主張が激しく賑やかというイメージを持っているかもしれません。確かにそういう人もいるけれど、そして「おとなしさ」では私たち日本人が図抜けているとも思うけれど、それでも現代の華人留学生の多くは日本人学生とかなり似通っていると思います。空気を読み、とてもおとなしい。

それがオンライン授業になるとより一層拍車がかかります。とにかく自分からは発言しませんし、質問すらしません。こちらがそのぶん指名して発言させまくればよいのですが(そして実際そうしていますが)、それも毎日何時間もやり続けていると、いささか倦んできます。それが教師の役割であり仕事であるといえばその通りなのですが、なんでここまで発言を促し続けなければならないのかと。

もうひとつ、発言が少ない理由はやはり、まだまだ自分の日本語が拙いからでしょうね。間違うのが恥ずかしいから発言しない。でもそこを突き破って、破れかぶれでも日本語を話そうとする方がこれまたほとんどいないのです。みなさん結局中国語での会話に引きこもっている。

qianchong.hatenablog.com

ともあれ、愚痴を言っていても始まりません。とりあえず毎回の通訳訓練の前に「1分間スピーチ」みたいな課題を出してみようと思っています。あらかじめテーマは伝えておいて、準備しておいてもらうのです。いきなり問いかけられて、恥ずかしさから発言を控える人でも、多少なりとも“心裡有底”ならなんとかなる……かな?