インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

日本になんて来たくなかった?

何年か前、とある企業の幹部職員候補者向けセミナーに通訳者として伺ったことがありました。この企業は本社が日本にあり、中国を含む世界各地で大規模に事業を展開しています。そのセミナーは、中国各地の中堅職員を日本に呼んで、本社の企業理念や経営方針、今後の事業展開の方向性などについて認識を一致させるという目的で開かれていました。

その初日、午前中のセッションが終わってお昼休みとなり、午後のセッション前に休憩をしているとき、何人かの中国人職員が雑談している声が聞こえてきました。特に聞くつもりもなかったのですが、その中のお一人、30代とおぼしき男性がとても大声でアグレッシブに話していたのが印象に残りました。その男性はこう言っていました。

「俺は本当は日本になんて来たくなかったんだ。アメリカに行きたかったんだけど、日本企業に就職してしまったものだから……」。ほかにも「そのうちに転職してやる」「俺はこんなところでくすぶってるような人間じゃない」というようなことを次々に熱く語っておられました。私は今回のセミナーにスポットで雇用された通訳者なので、その内容を日本企業側に伝えたりはしません(する義務も権利もありません)でしたが、なるほど、野心と野望に満ち満ちた中国人エリートにとって、日本はそれほど魅力的ではないのかなと思いました。

もちろん彼一人の考え方かもしれません。でもお話に興じていたグループの反応から察するに、皆さん多かれ少なかれその「意気」に同意を与えているような印象を受けました。この企業は(あまり詳しくは書けないのですが)日本では業界トップです。でも時価総額の世界ランキングでは40位くらい。一方で同業の中国企業は世界ランキングでトップ5に入っており、時価総額では約20倍ほどの差があります。

中国人の彼からすれば、この業界における日本企業なんて「もはや眼中にない」ということなのでしょう。日本人の私からすれば、東京の都心に巨大な本社ビルを構えるこの巨大企業に海外から就職し、なおかつ幹部候補生になっているというだけでかなりのエリートというか恵まれた存在のように思えますけど、彼(ら・彼女ら)はそうじゃないのかもしれません。

そして一方で、セミナーを主催している本社側の日本人には、言葉の端々に「うちのような日本の一流企業に就職できたことを誇りに思いなさい」というような「上から目線」を感じました。それはセミナーの講師役を務めた各部門の責任者もそうでしたし、最後に特別講義という形で出講されていた取締役の方にもそんな雰囲気を感じました。私は、くだんの中国人男性の「内心」を中国語で聞いて知っていただけに、なんとなく複雑な気持ちを抱えたまま業務を終えました。

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https://www.irasutoya.com/2019/12/blog-post_28.html

何年も前のこんな気持ちを思いだしたのは、現在私が教育現場で向き合っている留学生の中に、ときおりあの男性のような「内心」を秘めているような人がいるように感じるからです。もちろん留学生の圧倒的多数は日本や日本語や日本文化などが大好きで、幼いときからの夢を叶えて留学してきたという方々です。それは基本的に変わらないのですが、ここ数年、どことなく「本当は日本になんて来たくもなかった」、「俺の本当の居場所はここではない」的なスタンスがほのかに感じられる人がぽつぽつ現れて来たように感じるのです。

いや、これはまったくもって私的、かつ感覚的なお話です。だからそういう傾向が強まっているとか、留学生の質が大きく変化したとか、一般化して語る気は毛頭ありませんし、その証拠もありません。ただ「どうしてこの人は、わざわざ日本へ留学に来たのだろう」と思わざるを得ないような行動をする留学生(特に華人留学生)が徐々に増えているように感じられるのです。

まあ、昨今の状況を鑑みるに、それも当然なのかも知れません。ただ私たち日本人の多くは、そうした変化にまだあまり気づいていないのではないか、もっと辛辣な書き方をすればいまだに日本が「スゴイ」から留学してくるのだろうと自惚れているのではないか……とも思うのです。