インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「教師の覚えをめでたくしておくこと」について

私がいま奉職している学校にはたくさんの外国人留学生がいます。私が担当した留学生に限っても出身は様々で、中国、台湾、香港など中国語圏(母語は北京語、広東語など様々)の人たちもいれば、タイやベトナムインドネシアなど東南アジアの人たち、さらにアメリカ大陸やヨーロッパの人たち、アフリカ大陸の人たちと様々です(今のところまだオーストラリアやニュージーランドの方はいません)。

年齢は、お若い方が多いですが、それでも比較的幅広い年代にわたっていて、日本の大学などの風景とはやや違った趣があります。みなさんコロナ禍のこんな状況でも日本で学ぼうとやってきている、あるいは日本に残り続けようとしている人たちばかりで、とても積極的。

ただ、中国語圏の留学生と、非中国語圏の留学生の間には、かなり顕著な違いが見られます。それは「率先して何かを引き受けようとする態度の有無」です。例えば「クラス委員を選ぶ」とか「イベントの実行委員を選ぶ」、あるいは「卒業アルバム編集のとりまとめ役を選ぶ」、さらには「文化祭で上演する日本語劇の配役を決める」みたいな場面で、非中国語圏の留学生はおおむね積極的に手を上げて「私がやります!」といってくれる方が多いのに対して、中国語圏の留学生はおおむね非積極的で、下を向き、「黙して語らず」あるいは「私には関係ない」という態度を取る方が多いのです。まあ教師としては、非中国語圏の留学生がおおむね積極的に引き受けてくれるので特に苦労することもありません。ただ私個人は、なぜそういう傾向があるのだろうかとちょっと興味を持っています。

f:id:QianChong:20210621152531p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/08/blog-post_685.html

実のところ、非中国語語圏の留学生にしても、そういう役柄を引き受ける背景には「進学の際、推薦書に書いてもらえる」とか「就職の際、履歴書や経歴書で映える」という打算があったりもします。でも私はそれでいいと思いますし、むしろそれが当然じゃないかなと思うのです。なぜって、こういう言い方はちょっとイヤらしいかもしれませんけど、学校において、その後の進路をより有利なものにしようと思ったら、まずは「教師の覚えをめでたくしておく」というのが実に効率的な戦略だからです。

もちろん本業である学業の成績が鳴かず飛ばずだったら意味がありませんが、そこそこ学業も頑張った上で、クラスの中でも目立つ存在になり、先生の覚えがめでたくなっていれば、例えば推薦書によりいい文言を書いてくれるかもしれない。いい就職先を紹介してくれるかもしれない。普通はそういうふうに打算を働かせるものではありませんか。え? そんなことない?

私自身で言えば、かつて留学していたときや通訳学校に通っていたときは、もちろん語学の勉強も通訳訓練も自分なりに頑張りましたけど、同時になるべく教師に気に入られるように気を遣っていました。といっても別に「媚びを売る」とか、「ゴマをする」とかじゃないんです。ただただ教師の指示や指導に「素直に従う」というだけ。そのうえで、クラス委員とか「何とか係」みたいな、ちょっと人の敬遠しがちな役柄を積極的に引き受ける。先生方の立場になってみれば、そうした行為がどれほど「覚えをめでたく」するか、ちょっと想像してみれば分かるではありませんか。

もちろんそんな打算だけでなく、何でも積極的にやってみたい、やってやろうというポジティブな気持ちもありました。でもそれと同時に私の心の中には「できるだけ先生の覚えめでたくなって、あわよくば授業後に『これから通訳業務に行くのですが、あなたも見学にきますか』とか『今度の業務でひとり欠員が出たのですが、あなたやってみませんか』とか言われないかしら」という気持ちがあったことも事実です。何とか通訳者としてデビューしたいと思っていた。だから通訳学校では毎回、出勤日でもないのに(当時は会社でサラリーマンをしていました)スーツを着てネクタイを締めて授業に参加していました。……ま、上述したような直接的な「おこぼれ」にあずかることは結局一度もなかったんですけどね。

これはいわば中国語で言うところの“關係(コネ)”を作ろうとする行為です。そして私の最大の疑問は、こうしたコネ作りへの積極性においては人後に落ちないはずの華人(チャイニーズ)の留学生諸君が、なぜ「教師の覚えをめでたくしておくこと」に対してここまで非積極的なのだろうかという点なのです。まあ「覚えをめでたくしておく」に足るほどの利益が私からは得られないということなのかもしれませんけど。

もちろんこれは、私自身のここ5〜6年ほどの観察に過ぎないので、確たることは言えません。でも私より昔からこの学校に勤めている古参の教師の意見もほぼ同じなので、これは現代の中国語圏からの留学生にかなり広範に見られる傾向なんでしょうね。華人のメンタリティもどんどん変化しているのかなあ。私ももうそろそろ古い「華人観」をアップデートする必要があるのかもしれません。