ネット上での誹謗中傷に関して、能楽師の安田登氏が書かれていたツイートが目に止まりました。
前RT。僕は自分がフォローしている人以外のツイッターのリプも見ないし、Amazonなどのレビューも、また星の数も見ません。僕は自分が書きたいものを書いているし、それを気に食わない人は少なくとも日本の人口の半分(6000万人くらい)はいて、なにもその人たちと関わらなくても生きていけるからです。
— 安田登 (@eutonie) 2020年5月30日
議論を深めるためなどと言って、わざと反対意見をいう人がいるのですが、そういう場合は、僕はその人の反対意見に対して反論はせずに、「ええ、そうですね」と同意して、そのままそれ以上の関係をもたないということをします(笑)。面倒なんで。それが必要以上に人間関係を広げないコツでもあります。
— 安田登 (@eutonie) 2020年5月30日
ああ、本当にそのとおりですねえ……。必要以上に人間関係を広げない、言い換えれば世の中には「ご縁」のある人とない人がいることをわきまえるというの、心穏やかに暮らすための「生活の知恵」だと思います。
そしてまた、世の中には「ためにする」反対意見や議論をふっかけてくる方がいるものですが、そういった方にはにっこり笑って「そうですね」。これでいいんですね。人生は短いのですから、ましてや私のような中高年に残された時間は少ないのですから。
https://www.irasutoya.com/2016/05/blog-post_164.html
誹謗中傷に関してはもうひとつ、これもいつもツイートを拝見しているエッセイストで翻訳家の渡辺由佳里氏の記事も心に響きました。
「歳をとると、いろんなことから解放されて楽になる」、「この歳になると自分の人生は自分のものだとわかるようになる」。本当にそうですね。私は(自分で書くのも何ですけど)けっこう生真面目に物事を考えてしまうところがあって、これまではそういう生真面目な思考と現実との折り合いに悩むことも多かったのです。
でもだんだん「ずぼら」でいいんだ、物事の整合性にこだわったり、無謬性にこだわったりしなくていいんだ、というか、それは元々無理筋の要求なんだということが分かるようになりました。そうしたら、もともと自分に備わっていた「ずぼら」な部分があたらめて顕在化してきて家族に怒られたりしていますけど。
嫌なものはスルーして、自分の人生は自分のものと大切にする。これ、一歩間違うと頑迷な「ジジイ」へ一直線のような気もしますけど、そこをうまく避けながら渡辺氏のおっしゃるような「楽しく生きる年寄り」になりたいと思います。