インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能は「つまらない」か

先日『ゆる言語学ラジオ』の堀元見氏がnoteで、能は「既得権益だらけ」であり「顧客のニーズを満たそうとかそういう気持ちは全くない」とおっしゃっていることについて書きました*1

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能には「市場原理は働いて」おらず「進化しなくていいのだ」という見かたは、実は堀元氏に限った新しいものではありません。1930年に作家・夢野久作能楽喜多流の月刊誌に寄せたエッセイ『能とは何か』でも、当時の「能ぎらい」による批判をこんな形に集約して載せられています。

能というものは要するに封建時代の芸術の名残りである。謡も、舞も、囃子も、すべてが伝統的の型を大切に繰り返すだけで、進歩も発達もない空虚なものである。手早く云えば一種の骨董芸術で、現代人に呼びかけるところは一つもない。世紀から世紀へ流動転変して行く芸術の生命とは無論没交渉なものである。
能とは何か』※青空文庫版もあります。

そのあとで、ではなぜ自分は能がいいなと思えるのかについて縷々語るのですが(氏は幼少時にお能の稽古をされていたそう)、その前提としては「能のヨサを第一義的に自覚するには、『日本人が、自分自身で、舞か、囃子をやって見るのが一番捷径*2』と固く信じている者である」とおっしゃる。つまり、能というものはなかなかそのよさが伝わりにくいんだよね、というのをもう100年近くも前に嘆いてらっしゃるわけです。まして、これだけ娯楽の選択肢が増えた現代においてをや。

かくいう私も、初めて能を見たときには爆睡してしまったクチではありますが、ひょんなご縁から能の稽古をはじめ、気づいたらもう今年で10年になろうとしています。そして今ではまさに夢野久作氏のおっしゃるとおり、「自分自身でやって見る」しか能のよさはわからないのではないかと感じています。

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世の中には能のよさを伝えようとしてさまざまな入門書が出版されていますが、こんなことを申し上げるのははなはだ僭越かつ身もふたもないこととは思いながら、そのいずれを熟読玩味しても能のよさは伝わらないのではないか……そんなふうに感じています。

こうした入門書のほとんどが、能の「ぱっと見」わかりにくいところをていねいに解説し、しかるのち代表的な演目をひとつづつ解説するという体裁になっています。でもそうやって背景知識を入れ、観劇に際してその演目を予習し、謡本と首っ引きで演能と相対しても、おそらく能のよさや面白さはまず伝わらないのではないか、少なくともリピーターになってはもらえないのではないかと。

先日Googleで「能 つまらない」というキーワードで検索してみたら(ひどいですね)、こんなサイトを見つけました。能楽師の安田登氏、思想家で武道家内田樹氏、そして作家のいとうせいこう氏による鼎談です。

kangaeruhito.jp

その中に、安田氏に師事して謡(うたい)の稽古を始めたといういとうせいこう氏のこんなくだりがありました。

安田 始めたときのお約束で、10年間はぼくが許すまで質問してはいけないと言いました。
いとう ええっ。
内田 あれ、驚いていらっしゃる(笑)。
安田 それから、10年間はどんなことがあっても、自分が死んだとき以外はやめてはいけない。この二つの約束がありました。
いとう あ、そうだった。
安田 この二つはとても大事だと思っています。

このくだりは要するに「黙って言われたことだけやれ」ということですから、いかにも伝統芸能ならではだと、それこそ「封建時代の名残だ」、「既得権益だ」というような批判もむべなるかなと思われるかもしれません。でも私もほそぼそとではあるけれど10年近くお稽古を続けてきてみて、その言わんとしていることがよく分かるんですよね。

白洲正子氏の『お能』に収められた芸談梅若実聞書』にも「いくら説明しても、解らない人には解りはしません」という、これまたそのまま読めば突き放されたような気持ちになってしまいそうな一節があります。でもこれも「自分自身でやって見る」しかないという夢野久作氏の言葉と通底しているような気がするのです。

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能のお稽古を10年近く続けてきても、何か実質的な「実入り」があるわけではありません。また覚えた謡曲はいくつかあるものの、仕舞や舞囃子にいたってはひとつも「レパートリー」になっておらず、いま練習しているものがなんとか舞えるだけというレベルです。しかしここに来て、なにがしかの良さがようやくわかってきたような気がします。

上掲の記事で安田登氏は「10年ぐらいまでは、これが面白いとかつまらないとか、絶対考えてはいけない。10年間は師匠に言われた通りに、ただひたすら稽古をすること」とおっしゃっています。これも堀元氏はじめ多くの方々にはかなりネガティブな印象を持たれる言葉だろうと思います。でも私は、世界にはそういう領域も必要なのではないか、そんな長いスパンで取り組める趣味が存在しているなんて素晴らしいではないかと思うのです。

10年もただ言われるままに稽古をしなさいなどという趣味の人口が増えるのだろうかと問われれば、それはまあ無理かもしれません。その良さやおもしろさを言語化するのは極めて難しい。夢野久作氏にして「やって見るほかない」とおっしゃっているのですから。でもその「やって見る」人をどうやって増やすのか。かつては謡曲を趣味にしていた人が一定規模で存在したそうですが、その方々は能のどこに「良さ」を見出したのでしょうね。そういう素人衆の書き残したものは残っていないのかしら。

*1:無料で公開されている部分から引用しました。有料部分ではもっと厳しいことをおっしゃっていますから、興味のある方はぜひごらんください。

*2:しょうけい。近道。