緊急事態宣言が解除となり、六月から以前のような対面授業へ回帰する動きが教育現場で加速しています。うちの学校でも六月の第一週はオンライン授業を継続するものの、第二週からは対面授業を再開することになりました。とはいえ当面は多少の調整を加えて「三密」になりそうな実習やグループ学習は慎重に避けつつ、またラッシュ時の登下校を避けるために授業時間をずらすなどの対策をとりつつ、ということになっています。
この間のオンライン授業への取り組みを振り返る声もあちこちで聞かれるようになりました。私の職場でも教職員がかなり疲弊している中、それでも「なんとかやって来られた」「新しい授業の形が見え始めた」という声がある一方で「もうかなり限界」「やはりオンライン授業にはムリがある」という声もあります。私もいくつか思うところがあったので、少し振り返ってみようと思いました。
https://www.irasutoya.com/2020/04/blog-post_283.html
学生の自主性が問われる
私が担当しているのは義務教育ではなく、ほとんどが成人の留学生クラスなので、オンラインでもなんとかなるだろうとは思っていました。ネットでもかなり以前から大学の講義や授業を配信する取り組みは行われてきましたよね。海外の質の高いコンテンツを私も視聴したことがあって、これでも十分に学べるのではないかと思っていました。
ところが実際に自分が展開してみると、まずはこちらの技術不足が浮き彫りになりました。動画の撮り方、ウェブ会議システムでの話し方、メールやLMSを使った学生とのやり取り。いずれも不慣れな点が多く、膨大な時間を費やす結果になりました。これはまあ経験を積むごとに洗練させていくこととして、そんなオンライン授業でネックになるのは、まず学生の「自主性」なんだなと感じました。
義務教育ではないので、学生は全員自分が学びたくてこの学校に入学してきた人たちです。本来なら自分で貪欲に学んでいけばいいわけで、学生の側から学びを仕掛けられて来るべきです。ところがオンライン授業をやってみると、積極的に学ぼうとする人がいる一方で、ネット端末の後ろに隠れて極めて消極的な人もいる。これはもちろん対面授業でも同じなのですが、曲がりなりにも学校まで足を運んでいますから、それなりに積極性は発揮しています。ところがオンライン授業だと、やろうと思えばその最低限の積極性さえ発揮しなくて済むんですね。
でもまあ、オンライン授業は、むしろ学生の自主性が問われるいい機会だと思いました。しかし同時に、オンライン教育で十分であるのならば、わざわざ日本にコストをかけて留学してくる意義も失われるかもしれないなとも思いました。実際、SNSでの議論には「もはや留学の意義は失われつつある」「逆に世界中に配信できるのだから学校にとってはチャンス」といったような声も散見されました。
「ナマ」の人間関係とは違う
とはいえ、私自身はやはり留学をオンライン授業で代替することは不可能、というか、自分が留学生だったら絶対に嫌だと思います。私もかつて中国に留学しましたが、あの当時に今のようなICT技術があったとして、じゃあ日本にいながら中国での学びを自分のものにできたかと想像してみれば、かなり無理があると思います。
日々その国の社会で暮らし、学校以外でもその国の人々とコミュニケーションし、季節の移ろいを肌で感じながら「皮膚感覚」の経験をすることでしか学べないものも多い(私の場合はそれがとても大きかった)と思うのです。先日の東京新聞に、岡崎勝氏がナマの人間関係から生まれる「試行錯誤や失敗」からしか生きる力は育たないと書かれていましたが、同感です。岡崎氏のおっしゃるオンライン授業の「特殊な距離感」というのは、教育にとって決定的に何かを損なうのではないかと感じています。
しかし圧倒的に遅れている
とはいえ、とはいえ、私たちはまだオンライン授業をたかだか数週間から数ヶ月やってみただけです。その功罪について判断を下すのはまだ早すぎるだろうとも思っています。また上述したような「生徒の自主性が問われる」側面があるオンライン授業にあっては、むしろその側面を上手く取り入れて行くことはこれからも必要だと感じました。対面授業への復帰で「ああもうこれでZoomに向かって虚しい声を張り上げなくても済むわ〜」とこれまでの取り組みを全部放り投げるのではなく、ICTの活用をこれからも積極的に考えていくべきだと。
そんななかでテレビ東京の『ガイアの夜明け』を見ました。「コロナで学びを止めるな!」と題されたこの回、日本はOECD諸国でデジタル機器の使用が国語・数学・理科で最下位という情報から始まり、双方向のオンライン授業を実施できた小中高校は5%だという衝撃的な(でもある程度予想もされた)データが続きます。
パソコンがない、Wi-Fiがない。オンライン教材がない。日本はこの通信インフラの遅れに加えて、オンライン教材のコンテンツがものすごく乏しいのだなと思いました。番組ではどんな端末でも授業が受けられる(教育格差を作らない)という上海の会社の取り組みが紹介されていましたが、これは実際自分がオンライン授業をやってみて、まずはそのインフラの不備(学校側にない&学生側にない)でできない、あるいはあれこれの対策が必要で雑務が大幅に増えるというのを実感しています。そして自分の受け持っている授業の、オンラインへの対応の遅れも。
この番組で紹介されていた「ロイロノート・スクール(動画や資料などの教材を並べ替えて一本の教材にでき、学生とのやり取りもできるアプリ)」はぜひ試してみたいと思います。またある大学の先生がおっしゃっていた「大学の授業は双発性・相互性が必要」という言葉は、上述した学生の自主性と相まってとても大切なことだなと改めて思いました。
メインの職場では六月の第二週から対面授業に復帰しますが、もうひとつ奉職している学校では少なくとも今秋までオンライン授業が継続される予定です。これを奇貨として、もう少し学んでみようと思っています。