インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

オンライン授業に欠けている身体性

一ヶ月に二回だけ担当している通訳学校の授業、この春学期は新型コロナウイルス感染症の影響ですべてZoomを使ったオンライン授業になっています。オンラインの遠隔授業ですから講師の私も自宅から参加すればいいのですが、Zoomのアカウントの問題や、Zoomにつないで使う書画カメラなどが自宅にないこと、様々な教材や資料のデータを学校の専用サーバに入れなければならないことなどの制約があって、結局は毎回学校まで出向いています。

オンラインやリモートの長所を全然活かしていない感じですが、ほとんど誰もいない学校で授業をするほうが落ち着くので、これはこれでいいかなと思っています。もとより「激狭」の自宅で、授業だの会議だのをするのは自分も家族も抵抗があります。ああ、書斎……なんてものじゃなくてもいいから、自分の部屋が欲しいです。

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https://www.irasutoya.com/2018/06/e_29.html

Zoomを使った語学の授業は、それなりに場数を踏んできたのでかなり慣れましたが、あの「反応の無さ」というか「山奥の湖のほとりに立って、鏡のような湖面にひとり小石を黙々と投げ込み続けるような感じ」にはまだ慣れません。参加者全員が音声をオンにしていると通信が不安定になり、語学の授業で何より大切な音声が途切れたり歪んだりするので仕方がないのですが、学生さんが全員ミュートにしている中で話し続けたり反応(拍手やサムズアップのマーク)を求めたりするのはなんとも虚しさが漂います。

それにZoomを使った授業では、リアルな教室での授業に比べて学生さんのインプット要素がかなり制限されます。例えば教室では、音声に加えてプロジェクターで投影した映像、ホワイトボードでの板書(ノートテイキングなど)、実物資料の配布など様々なことが同時並行で行なえます。もちろんリアルタイム・双方向のやりとりは言うまでもありません。オンライン授業にはインタラクションが希薄なことに加えて、こういう身体でまるごと体感できるマルチなインプット環境が乏しいんですね。これって、けっこう重要な、見逃してはいけない要素なのではないかと思い始めています。

授業やレクチャーを、単に情報のやり取りとだけとらえて考えれば、対面授業もオンライン授業も大きな差はないのかもしれません。特に「講義型」の授業であればなおさら。でも私たちがやっているような「実習型」の授業では、やはり難しい部分が多々あるのだなと改めて思っています。教師も虚しいけれど、学生さんも虚しい。やはり感染防止の知恵を絞った上で、対面授業もそれなりの割合で組み入れていかないと、なにか大きな学びを失ってしまうような気がしています。