インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

オンラインの会議や授業がつらい

私がいまメインで勤めている学校は、系列の大学や専門学校などがひとつのキャンパスにまとまったているところです。その大学では最近、感染状況が落ち着いてきたことを受けて、学生さんはもちろん、学生さんの親御さんからのクレームが急増しているという話を聞きました。「いつまでオンライン授業をやっているんだ」というクレームだそうです。

大学や専門学校はオンライン授業をやらざるを得ない

コロナ禍に突入してからこちら、私たちの学校でもすでに一年半以上もオンライン授業や、オンラインと対面を組み合わせたハイブリッド授業が続けられています。公立の小中学校など、主に地域の児童や生徒が集まってくる環境とは違い、大学や専門学校は様々な場所から教職員が日々集まり、また散っていきます。授業もコマごとに教室を移動し、そのたびに不特定多数の人々との新たな接触が繰り返されるので、感染のリスクはかなり大きいと考えられます。

加えて大学や専門学校は、キャンパス周辺の地域社会との関係にも極めて気を使っています。成人している学生も多いので、飲酒や喫煙などのマナーに加え、「サークル活動の音がうるさい」とか「歩道でスケボーをしている」など、規模の大きい学校組織ほど日々様々なクレームが入ります。そんな中、不用意に対面授業を全面再開して万一クラスターでも発生させたら、目も当てられません。というわけで現時点ではオンライン授業も相当の割合で利用せざるを得ないのです。

一方で学生やそのご家族からすれば、高い授業料を払っているのにどう贔屓目に見ても「目減り感」が否めないオンライン授業でお茶を濁され続けるのは納得がいかない、というのもよくわかります。本来的に実習を多く伴う学科ではよりその不満は大きいでしょう。

それでも私が所属している部門は、学生の全員が外国人留学生なので、親御さんやご家族から強烈なクレームが寄せられるということはまずありません。いわゆる「モンスター○○」というような存在に頭を悩ませることは極めて少ないのです。以前勤めていた学校ではこの「モンスター」への対応に苦慮した経験もたくさんあって、だからこの点では(他部門の同僚には申し訳ないけれど)ちょっと安堵しています。

オンライン授業は苦手だと正直に言おう

ただ、私自身もこの一年半あまり、かなりの時間をオンライン授業の開発と実践に費やしてきましたが、もうそろそろ自分の限界かなと感じ始めています。これまでは、こうした新しい世の中の動きや試みに対応できなくなったら、それこそ「老害」の始まりではないかと自分を叱咤してきたのですが……もう正直に言いましょう。

私はオンライン授業が苦手です。オンラインでも変わらぬ教育の質を提供できないのは怠慢なのかもしれません。でも自分の授業でオンラインをこれ以上続ければ、自分の心を病むと感じています。それでもやれと言われたら……そのときはもう辞職するしかないかなと、そこまで煮詰まってきています。

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https://www.irasutoya.com/2014/04/blog-post_9196.html

オンライン授業の何がそんなに苦手なのか。通勤通学の時間が省けるし、全員が資料やスライドを平等に見られるし、音声や映像も平等に届きます(教室だと見えやすい見えにくい、聞きやすい聞きにくいなどいろいろと「濃淡」が生まれます)。遠隔地からも参加できて、これまで受講のチャンスがなかった人にとっては福音です。そして何より、オンライン授業のためのソフト・ハードも急速に充実してきている。コロナ禍を奇貨として、新しい教育のあり方を模索する絶好の機会ではないか。私もそう思っていました。つい最近までは。

オンラインに欠けている「空気感」

でも、最近になって、そういうポジティブかつ意識の高い肯定論にかき消されてしまいがちな、様々な欠点がどうしても気になり、なおかつそれがどんどん膨らんで来るような気がしています。学生全員がミュートにしている中で、反応のない虚空に声を投げかけ続けるような孤絶感と徒労感については、すでにブログで何度も書きましたから繰り返しません。それは私の側の問題ですから、仕事である以上なんとか我慢する必要はあります。

しかし学生側にもデメリットがあります。それは通常の教室での授業が持っている「空気感」です。教室での「多くの学生」対「教師」という構図はオンラインでも変わらないのですが、そこにはリアルな空気感、あるいはともに同じ空間を共有しているという一体感のようなものが欠けています。私はこれがかなり授業の質に影響するように感じています。

一方的に講義を拝聴するような授業ならまだしも、私が担当しているような通訳実習系の授業では、やはりその場に身をおいて、周りの人々の存在感や息遣いの中で自らのスキルを向上させていく必要があると思うのです。オンラインでも他人の存在を感じることはできますが、いつでもボタン一つでその場から退出できるという留保を有している(実際にそれをする人はいないにせよ)ことそのものが、パフォーマンスに大きな影響を与えているように思えるのです。

こういう言い方をすると身も蓋もないのですが、リアルな教室の授業であれば、教室に足を運んで来ているという段階で最低限のモチベーションは確保されています。実際には「だるいなあ」と思って登校してきていても、そこに身に置いているだけでなにかの学びを起動させるベースはある。でも自宅の自室からのオンライン授業では、そのベースすら常に心もとない状態にあります。身も心も学びモードに完全に切り替わることができないように思えるのです(これは自分が学生として参加しているオンライン授業でも感じます)。

また教室では「学生←→教師」というインタラクションの他に、「学生←→学生」という横のインタラクションも不断に生まれます。これが案外学びに大きな役割を果たしていることを実感してきました。教師とのインタラクションとともに、教師に内緒で「これってどういう意味?」とか「こういうこと?」「そうじゃない?」「ちょっと静かにしなさいよ」「センセは○○って聞いたんだよ」みたいな小さなやり取りが有機的に広がっている……こういうのが、特に実習系では授業に厚みや温かみをもたらす大きなファクターになっているように思うのです。

いずれも私が個人的に感じているだけで、何の証拠もありません。でも先日、外国人留学生の通訳クラスの対面授業で、私が概略上述のような話を簡単にしたところ、留学生のみなさんがこれまで見せてくれたことがないような「やれやれ」というか「うんざり」といった顔つきをして、ちょっと苦笑いしながら「そうですね、オンライン授業は本当に嫌です」と口々に言っていました。

私はちょっと意外でした。学生はオンライン授業のほうが楽だと思っている、と思い込んでいたからです。でもよく考えてみれば、その国やその国の言葉が好きでわざわざ現地に留学したのに、授業の大半がオンラインだったら「一体私は何をしにここへ来たのか」と思いますよね。

もともと苦肉の策だった

余談ですが、オンライン授業やオンラインミーティングの普及に伴って、そのデメリットを補うための様々な「活性化」Tipsをよくネットで見かけます。昨日拝見したのはこちら。

note.com

いろいろな方が「活性化」のために努力されていて、困難な状況でも何とか物事をよい方向に進めようとするその努力には本当に頭が下がります。そして自分も曲がりなりにもそういう努力をしてきたつもりでした。でも最近、こうした気遣い・気配り自体にとても疲れている自分を隠せなくなってきてしまったのです。たった一年半あまりの実践でもう音を上げているなんて情けないぞと言われるかもしれませんが。

最近では、オンラインミーティングの、全員の顔が縦横のグリッド状に並んでいて、みんながこちらを見ているというあの不自然な画面にもひどく違和感を覚えるようになりました。「新しい日常」においては、もやは普通の風景になりましたけど、アレってよくよく考えてみたら、かなり異様な光景です。……やはりずいぶんメンタルを病んでいるのだと思います。

オンラインでの会議や授業は、当初こそ働き方改革や教育改革の切り札としてずいぶんもてはやされましたけど、そして分野や部門によってはそれは今でも正しいのでしょうけど、すべてがそれで解決するわけでもないという、考えてみれば当たり前の結論にようやくたどり着きました。もとはといえばオンライン会議やオンライン授業は、コロナ禍への対応で考え出された苦肉の策だったのです。実践を経て、向き不向きが明らかになりつついま、元の姿へ回帰する動きもこれから活発になってくるのではないかと思っています。