インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

オンライン授業における「貢献」

Twitterとは疎遠になったといいながら、毎日タイムラインを見に行っている私。昨日はこちらのお二人によるやりとりを見て、あれこれと考えました。


なるほど、米国では、議論に参加しないのは「ただ乗り」で後ろめたいことなのだという共通認識があると。そしてなぜ日本ではそうではないのかというと、日本の私たちが引っ込み思案だからとか、恥ずかしがり屋だからとか、同調圧力のなかで自分だけ目立つことを極端に恐れるからという理由もさることながら、幅広い社会や世界の課題について語るべき相応の知識を持っていないこともその理由のひとつなのではないかと。

この「クラス全体への貢献」というのは、もちろん議論そのものを深めるためでもあるけれど、もっと表層的なところで、クラス全体の雰囲気を活気づける、インタラクティブなコミュニケーションを成立させるという意味でも大切な考え方ではないかと思いました。私も日々教師という職業についていて、その「貢献」度が異様に低い学生さんたちに心削られている(いまふうに言えば「メンタルをやられる」)からです。

コロナ禍に突入してからこちら、約一年半もオンライン授業をやってきて、それでもまだ慣れなくていまだに苦手なのですが、クラスにおひとりでも「クラス全体に貢献しよう」と思ってくださる方がいると(ご本人がそう意識されているかどうかは分かりませんが)、とても救われる思いがします。

Zoomなどを使ったオンライン授業で、通信の安定性を確保するために生徒は全員音声をミュートしている中、頷いてくれたり、笑ってくれたり(笑い声は聞こえないけど)、問いかけに短くても答えてくれたり……そうやってクラス内でのコミュニケーションに積極的な方がいるのといないのとでは、授業の雰囲気がずいぶん違ってきます。教師なんだから、そんなのの有無で左右されちゃいけないんでしょうし、生徒の反応が薄いのはお前の教え方の技術が拙いからだと言われれば、返す言葉はないんですけど。

だから逆に自分が生徒として参加している語学のクラスでは、いつもスペースキーに指を置いておいて、先生の問いかけに「はい」でも「いいえ」でもとにかく何か返すようにしています(ご承知のようにZoomでは、スペースキーを押し続けることで音声ミュートを一時的に解除できるのです)。時には先生の言ったことに対して笑い声を届けることも。ほかの生徒さんには無駄と映るかもしれませんが、私は先生の気持ちを考えるといたたまれなくなるのです。自分も、一人ベタ凪の湖畔に立って、小石を延々投げ込み続けているような気持ちになるあのオンライン授業における「無反応」に、かなり疲れているものですから。

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https://www.irasutoya.com/2013/12/blog-post_650.html

そんなことをする人は私以外に一人もいません。だからここでも私は「空気を読まない、うざいオッサンだな」と思われていることでしょう。でも先生はよく「どなたか答えてくれますか」とおっしゃる。そして言葉の間や息遣いに、無反応への疲れを感じるのです。それが同じ教師としてよくわかる。だからなかば生徒としての「義務」のように、うなずきや笑いや声などの反応を返しているのです。

もちろん授業の種類によっては、そういう配慮が無用のものもあるでしょう。先生によってはいちいち反応が返ってきたら却って話しにくいという方もいるのかもしれません。でも少なくとも私が担当しているような語学の授業においては、インタラクションがとても大切な要素に思えます。

そういえば、以前聴講したとある通訳学校の英日通訳の授業では、先生が「反応を返すことは生徒の義務です。ましてやコミュニケーションの仲立ちをする通訳者を目指すみなさんなら、なおさらコミュニケーションに貪欲でなければいけません!」と強い口調でおっしゃっていたのが印象的でした。

私はそこまで強いことは言いませんが(実は一度マネして言ったことがあるのですが、生徒さんはみんな「ぽかん」としていました)、いまもあれこれと手を考えて活発なインタラクションをオンライン授業で実現しようと悪戦苦闘しています。でも一年半も続けてきて、しかもこれからもまだ相当の時間続けなければならないという今にいたって、いささか疲れてきました。私が担当している生徒さんたちはいずれも成人です。やはりこういうのは上掲のツイートにもあるように「中高生から身につけないと難しそう」なものなのかもしれません。