インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

オンライン授業のみで日本語を学んできた人たち

コロナ禍に突入してから、学校現場でオンライン授業への取り組みが始まって二年あまり。ハード面、ソフト面ともに問題山積だったオンライン授業も、時を経るごとにさまざまな改善が試みられ、いまではすっかり日常の一部になっています。私もほぼ毎日のように、何らかのオンライン授業を担当していますが、正直に申し上げて、もうこれ以上は続けたくないというのが本音です。はやく元の100%対面授業に戻ってほしいと願っています。

オンライン会議やテレワークが日常化し、企業によっては在宅ワークを勤務の基本形態にしようとしているところまで登場しているというのに、何をまた時代遅れなことを言っているのかとお叱りを受けるかもしれません。だから学校現場の「センセー」ってのは世間知らずなんだ、変化に対応できない古い人間なんだという誹謗中傷も飛んでくるかもしれません。

でも私は、少なくとも現時点のような貧弱な通信環境とデバイスで語学の授業、それも初中級の語学の授業を続けるのは“利”よりも“弊”のほうが大きいと感じています。もっともっと通信環境とデバイスの処理速度が飛躍的に向上して、VR(バーチャル・リアリティ)が本当に「リアリティ」を獲得したあかつきにはまた新たな局面が開けるかもしれません。でも現状のような、みんなが縦横一面に並んで全員前を向き、通信の安定のために全員がミュートにして教員がひとり虚空に話し続けるというような「なんちゃってリアリティ」の環境では、初中級の語学の上達は覚束ないのではないかと思います(マンツーマンなどならまだしも)。

これは広く調査をしたわけでも何でもなく、あくまで私の周辺でのみささやかれていることですが、コロナ禍に入ってから母国において、あるいは日本において、オンライン授業のみで日本語の学習を開始し、継続してきた留学生の、特にリスニングとスピーキングが例年になく弱いのではないかという声を複数の方から聞きました。私も同じように感じていたので、とても興味深く拝聴しました。

そう考える理由はいくつかあります。まず、コロナ禍下で、オンライン授業だけで学んできた学生は日本語によるコミュニケーション、とりわけ音声のみに頼るリスニングとスピーキングの絶対量が足りていないのではないかという点です。

もちろんオンライン授業でだって、リスニングやスピーキングはやりようによっていくらでも行うことはできます。ただ、やはりリアルな対面での聴取や発話とは違って、そこには一種のもどかしさ、隔靴掻痒感がつきまとうことは否めません。そこには通常行われている音声コミュニケーションとは、いささか異なるタイミングでの聴取と発話が行われています。特に通信環境の安定のために学生全員が基本ミュートにしているなかで、発言するときだけわざわざミュートを切るというその一手間には、学生の発話の積極性を疎外している可能性があるのではないかと思います。

私自身、生徒として参加している語学のオンライン授業では、ついつい質問するタイミングを逃して「まあいいか」とそのままにしてしまう局面が何度もあります。ましてやまだ日本語の覚束ない初中級段階の学生であれば、なおさら発話への積極性が失われてしまうのではないでしょうか。

また、これは以前にもこのブログに書いたことがありますが、リアルな対面での授業であれば、コミュニケーションは学生と先生の双方向の他に、学生同士の横のコミュニケーションも行われます。例えば「いまの、どういう意味?」とか「先生の言っていることは、ようするにこういうこと?」などの「先生の目を盗んで行われるコミュニケーション」。私はこれが案外、学習の効果を高めているのではないかと思うのです。つまり、そうした行為によって疑問点や不明点がその場で確認できたり、解決できたりする可能性が格段に高いのです。そういう不規則かつ複雑なあれこれのコミュニケーションが行き交うのがリアルな教室での対面授業という場であって、それがオンライン授業では一切捨象されてしまうように思います。

さらには、対面授業を行っている時には、毎日学校まで行き帰りをする道すがらにも、豊富な言語環境に身をさらすチャンスがあふれています。でもオンライン授業一辺倒では、そういう予想外のインプットやアウトプットもきわめて起きにくい。結果としてそれらの総量も減ってしまいます。これはひとり語学の授業に限らず、オンライン授業全体が抱えている課題だと思いますが、総じて人間が何かを学ぶときに付随してくる不規則な要素(といって悪ければ、そのつど吹き出してくる興味の芽のようなもの)がオンライン授業ではほとんどカットされてしまう。もしかするとこれが、語学の初中級段階ではかなり致命的な欠陥として作用してしまうのではないか。

たぶんこうした研究は、これからなされていく、あるいはすでになされつつあるのでしょう。結論はそうした専門家のお仕事を待ちたいと思います。が、二年あまりオンライン授業を続けてきた私個人の感想としては、オンライン授業の持つある種の「無駄のなさ」が、かえって学びを疎外しているのではないかという思いを拭いきれません。それが図らずも留学生のリスニングとスピーキングが例年になく弱いのではないかという同僚の意見を聞いて「さもありなん」と思った次第です。