インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

もう気に病まない

私はオンライン授業が苦手です。コロナ禍に突入してからというもの、もう二年半近く担当してきましたが、オンライン授業では毎回精神を削られるような思いです。もちろん二年半も経験を重ねてきたのですから、それなりに授業のやり方もあれこれと工夫し、ノウハウは蓄積してきてはいます。

それでもあの、全員がグリッド状に仕切られた画面の中でこちらを向き、しかも音声はミュートにしている中でひとり虚空に向かって言葉を発し続け、ワンテンポもツーテンポも遅れた反応に隔靴掻痒感を覚えながら授業をすすめる……そうした営みに本当に耐えられなくなってきたのです。

現在はオンライン授業と対面授業のハイブリッドでカリキュラムが進んでいますが、私はできるだけ対面授業にしてもらえるよう、学校に申し入れています。第七波に突入して、またまたオンライン授業が増えそうな勢いですが、さいわい(?)学生はもうすぐ夏休みに入ります。夏休みの間にピークが過ぎることを願ってやみません。

世の教師と呼ばれる職業のみなさんは「学びを止めるな!」と奮闘し続けておられます。なのに私はこんなことばかり言っていて、本当に情けない。この職業に就くものとしては失格でしょう。でもこれ以上オンライン授業を続けたら、たぶん心を病んでしまうのではないか。それくらい苦しいです。

なぜこんなに苦しく感じるかというと、オンライン授業特有の環境もさることながら、どうやっても授業内容の「目減り」が避けられず、学生に対して申し訳ないという気持ちがどんどん膨らむからです。

一方的に「講義」のような形で話すことが主体の授業であればともかく、私が担当している授業はいずれも「実習」系の内容です。ひとりひとりが作業をしながら、その反応を観察しつつ、細かいやり取りを繰り返す。そういう内容なのに、オンラインではどうしても薄いやり取りになってしまいます。そのぶん授業後に大量のレビューを書いたり、添削をしたりというフィードバックを加えるようにしていますが、それでもどこか「取ってつけた感」は否めません。総じて、学生に十分に学びを提供できていないという無力感が残るのです。

そんななか、先週末も勤務先から、学生の一人が新型コロナ感染症の陽性と判明したとのメールが入りました。ちょうど金曜日にその学生と対面授業で接していたので、すぐにPCR検査を受けること、結果が出るまでは自宅待機することなどを指示されました。週明けにも対面授業が組まれていたのですが、すべてオンライン授業に変更することになりました。さいわい私はPCR検査で陰性でしたが、またまたオンライン授業ですか……としばらく脱力していました。

しかしここで思い至ったのです。そうやって落ち込むのは、学びというものを教師から学生への一方通行的なものとして考えているからではないのかと。だからオンライン授業で「目減り」してしまうことを憂いている。でも学びはそんなに硬直化したものではなく、学生はときに教師の想像を超えて学びを体現していくことがあるのです。何もかもこちらから教えることができると考えることじたいが傲慢です。それは自分でも分かっていたはず。

そう考えて、少し気持ちが落ちつきました。おそらく学生の中にはいまの状況に不満を持っている人もいるでしょう。特に私が担当しているのは外国人留学生ですから、オンライン授業が続くなかで「なぜわざわざ日本に留学してまでこんなことを」と感じている学生もいるでしょう。それを思うといてもたってもいられなくなりますが、この状況で私ひとりがあれこれ考えたり足掻いたりしてもしかたがないのです。

私は私で、与えられた状況下で精一杯やるしかありません。そこに至らない点があったとすれば、その批判は甘んじて受けましょう。それでも何年か何十年かのちに、「あの困難な時期に、それでも日本に留学してよかった」と思ってもらえるような日が来たらいいなと願っています。


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