インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

フィンランド語 53 …子音の重なり

調べ物をしていて偶然ウィキペディアの「フィンランド語」という項目を読んだのですが、フィンランド語の発音について今更ながらではあるものの興味深いことが書かれていました。

フィンランド語においては子音が重なっているか否かで異なる意味になることがかなり多く、きちんと区別して発音しなければならない。kuka(誰)- kukka (花)、pula(欠乏)- pulla (菓子パン)、kisa(競技)- kissa(猫)など。-rr-, -ll- を除けば日本語には慣れた発音である(綿[wata] - 割った[watta]、未開[mikai] - 密会[mikkai]、加盟[kamei] - 感銘[kammei])が、日本語以外の言語ではこの類の発音や聞き取りの区別はかなり難しく、フィンランド語習得における難所の1つといわれることが多い。
フィンランド語 - Wikipedia

なるほど。フィンランド語を学び始めたときに「同じ文字の連続が多い言語だなあ」という印象を持ちました。その一方で発音は中国語などに比べれば比較的容易だなとも感じました。もちろんウムラウトがついた「Ä」や「Ö」、さらに日本人には苦手とされる「R」の音など少々練習が必要な部分はあるのですが、総じていわゆる「ローマ字読み」でなんとかなることが多く、発音するのも綴るのも私たち日本語母語話者にとってはそれほどの困難を感じません。というわけで教室での発音練習は最初の一、二回のみでした。

そののちフィンランドに行って現地の方にフィンランド語を使ってみたら、何人かの方に「発音がいいね」と褒められました。もちろん外国人に対するこうした褒め言葉は「お愛想」ですし、発音がいいね上手だねと言われているうちは外語もまだまだなのですが、そうか、日本語母語話者にとっては容易に発音し分けることができる子音の重なり(日本語で言うところの促音)が「いいね上手だね」と言われる一因なのかなと思いました。

確かに私が日々接している外国人留学生、特に中国語母語話者はこうした促音を苦手とする方が多いです。子音の重なりを苦手とする話者は存外多いものなのだなと改めて認識した次第です。

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ひつじのにおい

先日帰省した際に門司港駅周辺を散策していたら、レトロなビルの一階に洋服屋さんがあったので冷やかしに入ってみました。そこで見つけたのがこのセーターです。試着してみたらちょうどいいサイズだったので、衝動買いしてしまいました。

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いいなと思った理由は、ハンドメイドっぽいザックリとした風合いもさることながら、このセーターにほんのりと「羊臭」がしたことでした。ついていたタグには「James Charlotte」と書かれていて、調べてみたらイギリスのニットメーカーみたい。主に英国産の羊毛を使っているみたいですが、こういう、毛を刈って、洗って、紡いで、編んだだけ、みたいな素朴な感じがいいなと思いました。

James Charlotte

以前購入して冬に重宝している「Silkeborg Uldspinderi」というデンマークのメーカーのブランケットがあるのですが、これも「羊臭」がします。羊小屋の藁屑がくっついているんじゃないかと思うくらい。羊臭というと、ジンギスカンなどでおなじみのラム肉を思い出して「アレは苦手」とおっしゃる方もいると思いますが、決して悪臭ではないんですよね。むしろほんわかと温かみを感じるにおいで。

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Silkeborg Uldspinderi | Officielle Online Shop og Brandsite – silkeborg-uld-dk

若い頃、田舎で農業の真似事をしていた時には山羊が日常生活の中にいました。中国にいたときには羊肉の洗礼を受けてすっかりその虜になり、台湾にいたときは山羊料理で有名な岡山という町に住んでいました。そのせいか羊や山羊にご縁があるというか、親近感を覚えるのです。そのにおいも含めて。だからウールの「羊臭」に接すると、どこか懐かしい温かみを感じるのだと思います。ブランケットを使いながら時々「羊臭」を嗅いで悦に入っていると、細君が冷ややかな視線を飛ばしてきます。

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ケンジとシロさん

元日はどこにも行かず、一日中家にこもっていました。外へ出たのは郵便ポストに入っている年賀状を取りに行ったときだけ。でも年賀状はここ数年出すのをやめてしまっているので、届く枚数も年々減り続け、ついに今年は数枚にまでなりました。毎年不義理を働いていますが、もう虚礼は一切廃することにしたのです。そんな没義道な私に年賀状をくださったみなさま本当にすみません。

年賀状と一緒に「プライバシー配送」として送り主の住所氏名が伏せられた薄いダンボール包装の荷物も届いていました。年末にヤフオクで落札した同人誌です。購入したのはマンガ『きのう何食べた?』の二次創作本『ケンジとシロさん』①〜③です。同人誌を買ったの、何年ぶりでしょう。定価よりはずいぶんお高い落札価格でしたけど、コミケのあの人混みの中「出撃」して走り、並び、ゲットする苦労を考えたら、その手間賃としてじゅうぶんに納得できようというものです。

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折しも元日には、昨年放映されたドラマ『きのう何食べた?』の全十話が再放送されており、このマンガを同時代的にずっと読んできた私はもう一度全話を楽しんで見ました。さらにその後放映された「お正月スペシャル」まで。このブログでも何度も書いていますけど、このマンガは、主人公の筧史朗氏と矢吹賢二氏が自分とほぼ同年代で、かつその二人が連載とともに現実の時間に合わせて年をとっていくという設定、さらにはその年代の中高年が直面する家族や仕事上の様々な問題がとてもリアルに感じられ、なおかつ買い出しや炊事の描写が自分の日常と重なるという点で、とても共感できるのです。

それでマンガは新刊が出るたびに買って読んできましたし、ドラマも全話見たわけですが、こうなったら二次創作も読もうと思ってヤフオクで手に入れた次第。しかもこの二次創作、原作者であるよしながふみ氏自らが描いているというのが素晴らしい。そうそう、よしながふみ氏はもともとこうした二次創作から出発してBL(ボーイズラブ)の諸作品でプロとして頭角を現し、数々の名作を世に送り出してきた作家さんなのでありました。

二次創作は、著作権の観点から見ればグレーな部分が多々ありますが、「ファンアート」という言葉もある通り、原作へのある種のリスペクトであるという側面、また著作権者が告訴して初めて罪に問われるという親告罪であること(一部を除き)などから、独自の発展を遂げてきました。そんな状況を背景に活躍してきたよしながふみ氏は、ここにきて本編と二次創作のどちらも手掛けることができる作家さんになっているわけですよね。私は最近の「この界隈」の状況にはあまり詳しくないですが、これは稀なケースなのではないでしょうか。

原作の『きのう何食べた?』にはゲイである二人の暮らしが描かれているものの、性的な要素はほとんど、というか一切出てきません。当然ですけど、いわば優等生的な作りです。そのぶん(?)二次創作の『ケンジとシロさん』はエロ全開です。それでも原作の前日譚であったり、後日談であったり、原作と巧みにつながる作りになっていて、さすが原作者の手掛ける二次創作。内容の詳細はネタバレになるので控えますが、基本エロだけれども、笑いの要素もあるし、なにより原作者がノリノリで原作の「優等生感」をぶち壊しにかかっているところに清々しささえ覚えました。

自己主張と自分自慢

先日の日経新聞人生相談欄に、脚本家の大石静氏がこんな「回答」を寄せておられました(会員限定記事ですが、こちらアーカイブを読むことができます)。

www.nikkei.com
「回答」とカッコ書きにしたのは、大石氏のそれがとても辛辣かつ手厳しいものだったからです。でも読みながら私は、まるで自分のことを見透かされているような感覚に襲われました。と同時に何か深い爽快感にも包まれたのです。60代後半の女性の「相談」は、上記のリンクに表示されているような短い内容です。あ、「相談」とカッコ書きにしたのは、大石氏がこう返していたからです。

これは相談というよりも「私ってステキでしょ」という自己主張に近いと感じました。

人は誰しも、他人によく思われたい、自分のことを「ステキ」だと思ってもらいたい、私のやっていることに「いいね」と言ってもらいたい……という欲求を持っています。こうした自己承認欲求は、SNSの登場でお手軽かつ最大限に可視化されることになりました。今やTwitterでもInstagramでもFacebookでも、そうした欲求が充満して息苦しいほどの空間になっています。

いや、私は、後者二つのSNSをとうにやめてしまいましたから、いま確認できるのはTwitterだけですが、身も蓋もないことを言っちゃえば、タイムラインに流れる「つぶやき」はそのかなりの部分が誰にも聞かれたり問われたりしていないのに発せられている自己主張です。往来で脈絡もなく独り声高に主張を始めたら周囲からは怪訝な目で見られること必定ですが、SNSの空間ではそれが常態なのです。

特に断定調で「〜すべき」とか体言止め(字数制限もあって、けっこう使われています)でつぶやかれるツイートは、タイムラインの中にいると分かりませんが、ひとたび引いて眺めてみると、かなりイタいものが多い。タイムラインに接しているだけで自己主張の息苦しさでむせ返りそうな気分になります……ってこれ、過去の自分のツイートを眺めていてそう思うのですが。

というわけで私は、昨年の途中から、Twitterのタイムラインという川の流れから足を洗い、自分から、それも突然つぶやくことはやめてしまいました。それでもこのブログを毎日書いて、その投稿を「#はてなブログ」のハッシュタグつきで放流しているのですからエラそうなことは言えないのですが。……もうこれも今年からはやめようと思います。大石静氏は、こう語っています。

年を重ねるということは、自分を知るということではないかと、私は思っています。自分の心の奥底を認識することによって、人間に対する理解も深くなり、周りの人間の気持ちがわかるようになり、思いやりを持てるようになる。風貌は衰えますし、記憶力も集中力も体力も衰えますが、そこだけは冴えてくる。それが年配の人間のステキなところなのではないでしょうか。

自己主張も時には必要でしょう。よいものにはよいと言い、おかしいことにはおかしいと言わなければならない時もあります。でもそこには大石氏がおっしゃるように、ひょっとして自分は何かが不満で、何かが満たされないからそういう自己主張をしているのではないかという自己洞察が欠かせないのかもしれません。それを怠っていると、つい「どや顔」で自分自慢になってしまうかもしれない。主張すべき主張と自分自慢は紙一重なんだな、というのを気づかせてくれた人生相談欄でありました。


https://www.irasutoya.com/2017/12/blog-post_882.html

カーテンの向こうに

年始の帰省ラッシュを避けて、年越し前に実家がある北九州市から東京に戻りました。スターフライヤーの座席も空席が目立っていました。機内のビデオサービスを適当に選んで見ていたら、10分弱ほどのショートショートフィルムが二作品流れていて、一本はイタリア語、もう一本は“Joulupuu(クリスマスツリー)”という単語が聞こえたので「あれっ?」と思ったら、案の定フィンランド語の映画『カーテンの向こうに(Verhon takaa)』(Teemu Nikki 監督)でした。

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Watch Behind the Curtain/ Verhon Takaa by Teemu Nikki Online | Vimeo On Demand on Vimeo

作中に登場する二人の少年がクリスマスソングを歌っていたので、帰ってから調べてみたら、フィンランドではとてもよく知られている童謡だそうです。

Joulupuu on rakennettu – Wikipedia

Joulupuu on rakennettu(Christmas tree has been built)
Joulu on jo ovella(Christmas is already here)
Namusia ripustettu(Sweeties are hanging)
Ompi kuusen oksilla(In spruce's branch)
https://lyricstranslate.com/ja/joulupuu-rakennettu-christmas-tree-has-been-built.html

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エンドロールにこんなCDのジャケットが出てきて、おじさんの声でこの童謡が歌われているんですけど、これは人前で歌えないほどシャイだった主人公の Mikko 少年が後年歌手になってCDを出したという設定なのかしら。そしてこのジャケットに写っているおじさんは Teemu Nikki 監督なのかな。エンドロールには“Laulu, käsikirjoitus ja ohjaus(歌、脚本、演出)”として監督の名前が出てくるから、たぶんそうなんでしょう。

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ちょっと寂しげな歌ですし、クリスマスソングですから時期的にはもう過ぎちゃってるんですけど、歌を聞いているうちになんだかしみじみとした年の暮れになりました。

しまじまの旅 たびたびの旅 109 ……「ポエムになっちゃった」看板のその後

門司港駅周辺を散策してきました。以前来たときは門司港駅の修復工事中だったのですが、すっかりきれいになっていました。構内の改札口にこんな看板があって「これは!」と思い出しました。確か今年の夏頃にブログの記事を書いたことがあったはずです。


そうそう、この「門司駅小倉駅には全て停車します」という日本語に主語が抜けているため、それを訳した英語や中国語がちょいと奇妙な文章になっちゃっているというハナシでした。

qianchong.hatenablog.com

よく見ると、英語はブログの記事を書いた当時と変わりませんが、中国語の部分だけ上から新しく文字を貼ったみたいです。そして“列车从门司港站到小仓站,每站都停”と、主語を補って以前より分かりやすい表記になっていました。北九州にも華人のみなさんは多く住んだり訪れたりしていますから、「もっと分かりやすくしては?」と指摘をした方がたくさんいて、それで変えたのでしょうね。めでたしめでたし。

しまじまの旅 たびたびの旅 108 ……大声の店主さんと常連びいき

北九州に来たからにはおいしいとんこつラーメンを食べなければなりません。ということで、地元の老舗、東洋軒に行ってきました。このお店に来るのは多分十年ぶりくらいです。お昼時で、店内は超満員でした。ほとんどが近所の常連さんや家族連れという感じ。せっかくだから、どーんとワンタンチャーシュー麺を食べようと思ったのですが「すみません、チャーシューできないんです」。年末までの仕込み分が足りなくなりそうだからとのこと。

ラーメンには白飯のおにぎりをつけました。少しちぎって、レンゲにのせて、スープにひたして食べるとおいしいんですよね。店内はずっとごった返していて、オヤジさん(以前は貫禄ある老店主でしたけど、その二代目さんかな)がちょいとキレ気味に指示を飛ばしていました。注文がきちんと通らないと「はい三番さんは大盛り? ワンタン?」みたいな確認を大声でしたり、「ラーメンです」とお客さんに出した店員さんには「硬めです!」と訂正の声が後ろから飛んだり。

う〜ん、毎度申し上げていることですが、そういう叱責はバックヤードでやってほしいですね。せっかくのおいしいとんこつラーメンが心なしか色あせて感じられました。忙しいからなのか、麺もちょっと茹で過ぎな感じ(硬さも聞かれませんでした)。でもまあここのラーメンは伝統的と言っていいほどの懐かしい味がします。

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気を取り直して、東洋軒から歩いて十分ほどの路地裏にある日本茶カフェに行きました。本当に路地裏のそのまた奥にあるので、案内の看板がなければ絶対に見つけられないような場所にあります。

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ここでは、ほうじ茶とミニパフェのセットを注文しました。古民家を改装した渋い作りの店内で、お茶もお菓子もおいしかったのですが、店主とおぼしき方が常連とおぼしき方と大声で会話していて、ちょっとこの渋い雰囲気とはアンバランスでした。今日は店主の大声&常連びいきによく接するなあと思いました。そういえば東洋軒では「チャーシューできないんです」と言いながら、常連さんとおぼしき方には店主がカウンター越しに直接「これ、おまけ」とチャーシューを追加してあげていました。

……まあこういうのも、旅情といえば旅情ですかね。

しまじまの旅 たびたびの旅 107 ……リノベーション系ホテル

冬休みに入って、北九州市の実家に帰省しました。実家に帰省といっても、うちの家は昭和のはじめに建てたという「歴史的建造物(歴史的価値はないけど)」で、泊まるのも不便かつ年老いた両親が寝具などを用意するのも困難なので、いつも市内のホテルに泊まっています。

いつもは市内にあるいくつかのビジネスホテルや観光用ホテルから安いところを選んでいたのですが、今回は見慣れぬ新しいホテルをBooking.comがおすすめしてくれました。実家の家族も「そんなホテルがあったかねえ?」というこのホテル、以前はなにかのオフィスビルだったのではないかと思われる建物をリノベーションしたような作りです。一階ホールのこの感じは……たぶんもともとパチンコ店だったんじゃないかな。

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カジュアルなカフェがあって、フロントのスタッフはみんな若い方ばかりで、海外からの観光客も重宝しそうなランドリーがあって、リーズナブルな宿泊料金で……この雰囲気、台湾でもよく選んで泊まっています。部屋の設備はそれほど豪華ではありませんし、アメニティなんかも必要最低限のものしかありませんが、Wi-Fiは館内どこでも使えるし、リノベーションしたてでとてもきれいだし、私はこういうホテルが一番使いやすいです。

台北でよく泊まるのは、大安駅近くの「Folio Hotel(富邦藝旅台北大安)」です。ここはもともと銀行の社宅だった建物をリノベーションしたそうで、すごく快適です。スタッフも若い方ばかりで、一階のホールにはギャラリーなんかもあって、デザインホテルが好きな方にもおすすめ。無料のランドリーもあって助かります。

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以前台東で泊まった「Norden Ruder Hostel(路得行旅國際青年旅館)」も、多分以前は集合住宅だったとおぼしきリノベーション系ホテルでした。ほとんどベッドしかない狭い部屋でしたが、部屋内にバスルームもあってとても便利かつリーズナブル。ここも若いスタッフさんばかりでとても親切でした。

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実家の家族によると、今回泊まったこのリノベーション系ホテル界隈は、新しくて面白いお店がぽつぽつと登場しているエリアなんだそうです。若い人たちが頑張っている(……って、単なる想像ですけど)こういうホテルを応援したいですね。

冷蔵庫の在庫管理をめぐって

約八ヶ月から九ヶ月ほどに一度のお楽しみ、よしながふみ氏のマンガ『きのう何食べた?』の最新第16巻を読みました。新刊が出るたびに記事を書いているような気がしますが、今回もいろいろと感慨深いものがある一冊になっていました。私は主人公の筧史郎氏・矢吹賢二氏とほぼ同年齢で、しかもこの作品では登場人物たちが現実の時間経過とともに歳をとっていくものですから、その中高年齢期における様々なエピソードに、とてもリアリティを感じながら読めるのです。

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きのう何食べた?(16) (モーニング KC)

今回も、両親が老人ホームへ入るために実家の建物と土地を売却する話が出てきます。これなどまさに私たちの年代がリアルに直面するお話ですよね。細君の実家は去年処分しましたし、私の実家も今後どうするかを考えるタイミングが遠からず訪れるだろうと予想しています。

この作品は基本「料理マンガ」ですが、料理に絡めた日々の暮らしのあり様、その人間描写が本当に味わい深いです。普段から家事、特に炊事している者にとっては「そうそう!」と共感できるエピソードがたくさん登場するのです。今回特に唸ったのは、こちらの場面。シロさんが牛丼を作ろうと思って、冷蔵庫にあと一個残っているはずだった玉ねぎを使おうとして、それを賢二に使われちゃってたというシーンです。

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これは冷蔵庫の中身の把握についてなんですけど、確かにこういうすれ違いというのはあります。私も仕事から帰宅するときはたいがい冷蔵庫の在庫について思い出しつつ、スーパーで買物をして献立を決めているのですが、時折予定していた在庫を細君に使われちゃってて、予定が大幅に狂うんですよね。

だからってお互い「これ使っていい?」と聞くのも面倒ですから仕方がないんですけど、例えば前の日にグラタンをバットいっぱいに作って「今晩はアレを温め直して、あとはサラダくらいで手抜きを……」と目論んでいたところ、細君がお昼にごっそりグラタンを食べちゃってて「あ゛〜っ!」というようなことがけっこうあります。

まあ他愛のないことで、それならそれでシロさんみたいに計画変更を考えればいいのです(マンガでは上掲のコマのように、賢二が急遽玉ねぎを買いに出かけます)。が、こういう他愛のない、しかし普段からまめに炊事をしている人じゃないと分からないであろう「そうそう!」「あるある!」なエピソードを盛り込んで作品を作っちゃう、よしながふみ氏の職人技を、今回も堪能したのでありました。

そしてもう一つ、シロさんも賢二もそれぞれに「責任ある立場」に就くというテーマが静かに流れているのですが、あまり書くとネタバレになるのでやめておきましょう。ただこれも、私たちの年代には「あるある」なテーマだなあと思いました。もっとも私は、今にいたるまでそういう立場に就いたことは一度もない人間なんですけれども。

なぜ並ぶ?

通勤途中にある一軒のラーメン屋さんが気になっていました。お昼時にはいつも行列ができていますし、看板には「無添加」とか「国産野菜」とか「化学調味料不使用」などの文字が並んでいます。ネットの情報によれば、どちらかというとお若い方向けの「ガッツリ系」なラーメンで、大盛りにしてもお値段据え置きとか、野菜の増量も「ロハ*1」だとか大変に気前がよろしい。各種グルメサイトの評価は★3.5といったところでした。

それで先日、少々仕事が長引いて遅めのお昼休みとなったのを奇貨として、初めて入ってみたわけです。店内にもこだわりスープの長い説明が貼られており、麺の量はもちろん、太さや硬さ、スープの濃さなどお好みの味に調整いたしますというお知らせも。昼下がりでも店内はほぼ満席でした。で、頼んでみたこの店一押しの特製ラーメン、程なく着丼、高鳴る期待。

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https://www.irasutoya.com/2016/07/blog-post_42.html

でも食べてみたら「味が災厄と表してもいいくらいひどかった(村上春樹ファミリー・アフェア』)」のです。こんなにしっちゃかめっちゃかな味のラーメンに接したのは久しぶりです。それでも『ファミリー・アフェア』の「僕」みたいに「なんとか半分だけ食べてからあきらめ」たり「あとは下げてくれ」と言ったりはせず、あらかた食べてお店をあとにしました(残して立ち去る勇気もないし、食材がもったいないし)。

グルメサイトやネット上の★による評価というのは、やはりあてにならないのだなと改めて思いました。「孤独のグルメ」じゃないけど、お昼ごはんの選択に失敗すると、その日の午後の気分はどんよりしてきます。私は職場に戻りながら小声でひとこと「なぜ並ぶ(西原理恵子『恨ミシュラン』)」とつぶやいたのでした。

*1:すでに死語ですかね。「タダ」ということです。「只(ただ)」という漢字が「ロハ」と読めるから。

「ファミリーヒストリー」に対する違和感

先日、夕飯を作りながらBGMがわりにテレビをつけていたら、NHKで「ファミリーヒストリー」という番組をやっていました。予告(「今夜のNHK」みたいな)は見たことがあったものの、番組そのものは一度も見たことがなかったのですが、見ているうちに何とも言えない不愉快な気分になってきて、チャンネルを変えてしまいました。

www4.nhk.or.jp

公式ウェブサイトによれば、この番組は「著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、『アイデンティティ』や『家族の絆』を見つめる番組」だそうです。チャンネルを変えたあと、なぜ不愉快な気分になったのかなと自問しました。

やたら「絆」とか「家系」などを強調していたからでしょうか。たしかに私は、家族は大切だとは思うものの、それぞれが別個の人間であり、必要以上に繋がりを求めるのは苦手です。特に子供が成人した後は、家族は「親離れ・子離れ」してそれぞれが精神的に自立すべきだと思っています。

はたまた私は、主人公となっている著名人の交友関係の豪華さに嫉妬していたのでしょうか。たしかに番組では、あの親戚が実はあの著名な誰それと親しかった! こんなに素晴らしい業績を残していた! 的なサプライズが次々に紹介されていました。でも私には、私自身はもちろんですが、家族や親戚にだってそんな人はいないし……。

何とも言えないモヤモヤした気持ちを引きずっていたのですが、翌朝の東京新聞を読んで驚きました。ルポライター鎌田慧氏がこの番組について取り上げ、コラムを書かれていたからです。こういうシンクロニシティは本当に不思議です。そして、私が抱えていたモヤモヤを鎌田氏が見事に言語化されていて、その点でも驚きました。

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「売り家と唐様で書く三代目」。戦後改革は身分制度を解体したはずだ。いつのまにか三代目政治家たちが国政を牛耳って悪政ほしいまま。この時代、ルーツを誇る番組に抵抗がある。「貴あれば賤あり」。差別に無頓着だ。

思わず快哉を叫びました。そうか、ことさらに家族の歴史を称揚しルーツを追い求めることと、人間どうしの差別は紙一重なんですね。

たしかにこの国には、建前上はないとされている身分なり階級なりの概念が今も色濃く残っています。その最たるものが皇族で、私は天皇制についてその歴史的価値は認めますが、現在のような行き過ぎた身分の有り様ははなはだ疑問です(その意味でも皇室の機能はすべて京都御所に戻し、東京の中心部にある江戸城跡はセントラルパーク的な公園として一般に開放すべきだと考えています)。

折しも先日「フィンランドでサンナ・マリン氏が首相に就任」というニュースに接しました。「世界最年少」とか「女性首相」などという見出しが各メディアに踊っていて、私はそれらにも少々複雑な気持ちでいたのですが(ことさらに「女性」の首相だと強調するなど、何という鈍感さでしょうか)、氏の「ファミリーヒストリー」を「異色の生い立ち」と見出しで伝える報道にも抵抗を覚えました。

news.livedoor.com

ただ、このニュースは、逆にどんな「ファミリーヒストリー」があろうと、どんな「生い立ち」であろうと、ガラスの天井を打ち破ることはできるのだという視点、そういう首相をフィンランドの人々が選んだという視点でみれば、逆に清々しい気持ちをもたらしてくれるものでもあったと思います。

フィンランドは長く他国の支配下にあったので王室や貴族というものを持たず、そのためフィンランド語にもそうした階級用の特別な用語や言い回しはほとんどないのだそうです(外来語としてはある)。それもまた、フィンランド語に惹かれる理由のひとつなのです。

閑話休題

この番組に関しては、ウィキペディアにもコラムニストの高堀冬彦による、鎌田氏と同様の見解が引かれていました。いわく「家系について調査し放送することが『本人』を重視する現代社会の精神に反し差別の助長につながる」。これも同感です。なるほど、自分のモヤモヤ感にはそれなりに根拠みたいなものがあったのだなと、少しだけ気分が晴れました。

gendai.ismedia.jp

ハッピーホリデー

朝、職場でパソコンを立ち上げ、ブラウザを開いたら、Googleの「Doodle(ドゥードル:日替わりのロゴ)」がこんなイラストになっていて、カーソルを乗せると「2019年ハッピーホリデー」となっていました。

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それでクリックしてみたら、一番最初に「ハッピーホリデー」の説明があり、こう書かれていました。

英語圏(主に米国)における年の瀬の挨拶の一種。主に「メリークリスマス!」の代替として用いられる。クリスマスはキリスト教における宗教的行事であることを背景に、他の宗教を持つ人々を顧慮する場合に用いられるという。
「ハッピーホリデー」の意味や使い方 Weblio辞書

なるほど〜。私自身はキリスト教徒でもないし、そもそもクリスマスやハロウィンなどとはまったく縁のない&興味のない人間ですが、こういう配慮はいいですね。アメリカで長く暮らした経験のある同僚に聞いてみたら、もうかなり以前から使われている挨拶なんだそうです。不明を恥じました。

私が勤めている学校でも、世界各地から留学生が集まっており、当然それぞれの宗教も異なります。というわけで宗教に対する配慮も必須なのですが、例えば研修旅行などで観光地を訪れる際、コースに神社仏閣などの見学が入っていたりすると中には抵抗を示す留学生もいます。このあたり、無宗教のくせに神道の神社も仏教の寺院もお気軽に参拝しちゃう私のような人間は、そういう指摘を受けて初めて「そうか……」と気づく鈍感さです。たぶん多くの日本人がそうなんじゃないかと思います。

これからますます異文化や異なる宗教の人々が周囲で暮らすようになる時代が来る……と考えれば、このあたりのリテラシーも培っておかなければならないんじゃないか。そんなことをGoogleの「Doodle」で気づかされました。

やっぱり借金減らして現金増やせ!

荻原博子氏の『やっぱり借金減らして現金増やせ!』を読みました。

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副題は「“2000万円”なくても老後資金は足りてます」。そう、これは今年「老後資金は公的年金だけでは2000万円不足する」という部分だけがセンセーショナルに取り上げられて話題になった、金融審議会市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」を念頭に置いて書かれた一冊です。

qianchong.hatenablog.com

結論から言うと、この本には特に目新しいことが書かれているわけではなく、とても常識的かつ基本的な「資産」に関する入門書になっています。その意味ではちょっと期待はずれだったのですが、わかりやすい言い切りで(これは著者である萩原氏の「芸風」でもあると思いますが)、それなりに納得感や安心感が得られるのがこの本の魅力です。

50歳の段階で資産がプラマイゼロであればそれほど老後は暗くないとか、何よりも大切なのは借金(ローンを含む)を速やかに精算して貯金をすることとか、投資はよほど知識がある方以外はやめておいたほうがいいとか、とにかくシンプルで分かりやすい。

でも、その一方で年金や保険のごくごく基本的なところとか、民間の保険に頼らなくても公的保険でかなりのところまで保障されているとか、「それすら知らない」私たちにとってはお金の教養の第一歩になるのではないかと思いました。特に、政府が国民に投資しろ投資しろとやたらに勧めてくるウラに何があるのか……と考えるきっかけにもなりました。

qianchong.hatenablog.com

ところでこの本はコンビニのセブンイレブンを展開する「セブン&アイ」が今年から始めた出版社「セブン&アイ出版」の「学び新書」シリーズの一冊です。既存の新書より本の作りがとても「ライト」な印象。ワンコイン500円でお手軽(その分薄い)ですし、イラストを散りばめて新書というよりは雑誌、あるいはムック的な作りのページもあります。

最初この本をAmazonで買おうと思ったのですが、新刊にも関わらず在庫はすべてマーケットプレイスにしかなく、それも定価の二倍も三倍もの値段をつけている出品者ばかりです。なるほど、この新書は既存の書店ではなくセブン&アイのコンビニやスーパーを通して売る新しい出版形態を追求しているのかなと思いました。それで近所のセブンイレブンなどをのぞいてみたのですが、どこにも売ってない。

gendai.ismedia.jp

というわけで結局、同社のネットショッピングサイト「オムニセブン」で買いました。注文後数日で、自宅や職場近くのセブンイレブンで受け取ることができました。

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愚者の税金

先日は職場の忘年会が開かれまして、自分としては珍しく都心の繁華街に出かけた(人混みが苦手だから)のですが、道端の宝くじ売り場には長蛇の列ができていました。「年末ジャンボ」を買い求める人々ですね。一緒にいた同僚によると、この宝くじ売り場に並ぶ行列は外国人観光客の興味をそそるそうで、写真を撮る方もいるのだとか。

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https://www.irasutoya.com/2015/02/blog-post_660.html

人生一発逆転の夢をかけて高額当選を狙うそのワクワク・ドキドキ感に水を差すつもりはないんですけど、宝くじはこれ以上ないくらいの、ものすごく割の悪いギャンブルです。ありていに言って、ワクワク・ドキドキの高揚感を味わうという目的以外で宝くじを買う理由はみつかりません。「愚者の税金」と呼ばれるゆえんです。もっともそれで地方自治体などが公共事業などの財源を確保しているのだとしたら、それはそれでいいかなとも思います。私は絶対に買いませぬが。

money-lifehack.com

忘年会の翌日、自宅のポストにはいつも利用している信販会社からの封筒が届いていました。表には「親展」と書かれ、裏には「大切なお知らせがございます。必ずご開封ください」の文字が。えええ、カード払い用に使っている銀行口座からの引き落としができなかったとか、不正利用が見つかったとか、そういう不穏なお知らせかしらとドキドキしながら開封してみたら……「カードローン・キャッシングサービスご利用可能枠設定のご提案」というお知らせが。

なんでも「お手持ちのクレジットカードにはカードローン・キャッシングサービスのご利用可能枠が設定されておりません」とのことで、ぜひ設定するよう促すお手紙でした。申込みの期限まで明記されています。ドキドキして損しました。私はカードローンやキャシングや消費者金融のたぐいは絶対に利用しません。ついでに「リボ払い」みたいなのも絶対に利用しません。いずれも銀行や金融業者が効率よく儲けるための手段でしかないからです。

今回の「ご提案」DMにも、いまカードローン・キャッシングを申し込むと抽選で5000円分のギフトカードプレゼント! などの大きな惹句が踊っていましたが、その一方で片隅に「貸付条件」の細かく小さな文字が。カードローンは融資利率(実質年率)が14%から18%ほど、キャッシングサービスもほぼ同じ利率です。絶対利用しません。でも私は、若い時には借金もして、キャッシングもしたことがある「愚者」でしたから、あまりエラそうなことは言えないんですけど。

宝くじや、カードローンやキャッシング、さらに消費者金融などはいずれもテレビなどでお金をかけた派手な宣伝を打っていますよね。その理由を考えてみるべきだと思います。というわけで私は、そういう宣伝に出演して広告塔になっている芸能人にも冷ややかな視線を送っています。

末端の現場は大変だ

私が勤めている学校では、語学教育や通訳翻訳訓練の際、生徒がパソコンを使う授業が数多くあります。そのためにノートパソコンがずらっと並んだ「パソコン教室」や、「CALL(Computer Assisted Language Learning)教室」などがあり、授業で用いる他に、生徒の課題制作や自習用にも使われています。このご時世ですから授業や課題制作や自習にはネット検索が必須。というわけで、それぞれのパソコンはもちろんインターネットに接続されています。

ネットに接続するパソコンが多数あるということで、学校では「サイバーセキュリティの強化」に乗り出しました。これまでは生徒がどのパソコンを使うかはまったくの自由で、授業ごとにそれぞれがパソコンを立ち上げて使ってきました。小中学校などと違い、各自固定の席があるわけではないからです。ところが、これからは毎回の授業のたびに生徒に名前と学籍番号を入力させ、いつ誰がどのパソコンをどのように使ったのか、ログを取って記録・保存するということになりました。

う〜ん、ただでさえ授業時間が短く、それも起動がクソ遅い(おっと、失礼)Windows機だというのに、さらにルーティンの作業が増えることになります。正直面倒くさいなあと思いましたが、これは学校の方針というよりも、お上(文部科学省)からのお達しに沿った措置のようです。すでに昨年から「国立大学法人等における情報セキュリティ強化について」とか「公立大学等における情報セキュリティ対策の強化について」とか「私立大学等を設置する学校法人等における情報セキュリティ対策の強化について」という通知が同省から出されているそうで、今年になってさらに「大学等におけるサイバーセキュリティ対策等の強化について」という通知が出されました。

国立大学法人等」→「公立大学等」→「私立大学等を設置する学校法人等」→「大学等」と、「等」がやたらに目立つ通知ですが、どんどん「対策の強化」の範囲が広げられてきたわけですね。うちの学校は専門学校なので、最後の通知にある「大学等」という一番大きなくくりに含まれているのでしょう。それで学校側も「対策の強化」に乗り出さざるを得なくなったというわけです。

私自身は、サイバーセキュリティの強化はまあ必要なのかなと、その趣旨については理解できます。ただ、通訳翻訳訓練では一人の生徒が特定の一台のパソコンを使うというシチュエーションだけではなく、二人でお互いの音声を聞きあったり、グループで字幕を作ったり、様々な利用方法のバリエーションがあります。要するに、単にいつ誰がどのパソコンを使ったのかログを取れといってもそう簡単ではないんですね。加えて、CALL教室ではどの教師がシステムを使っていたのかもすべてログとして記録に残されることになりました。

う〜ん、これもなんだか気持ち悪い。どんなサイトを閲覧したかとか、どんなサイトを留学生に見せたり紹介したりしているのかとか、いちいち記録が残るのかしら。いや、まあ別にやましいことをしているわけじゃないから、自分のログが記録されてもいいんですけど……。

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https://www.irasutoya.com/2018/05/blog-post_28.html

なんとなく腑に落ちなかったので、当の「大学等におけるサイバーセキュリティ対策等の強化について」という全15ページにわたる「通知」の写しを入手して熟読してみました。そこで分かったのは、この通知の趣旨がハードウェアの盗難やソフトウェアに対するサイバー攻撃等に焦点を当てており、特に「我が国の防御力・抑止力・状況把握力の強化として、科学技術競争力や安全保障等に係る技術情報を保護するため、先端的な技術情報等を保有する大学等に対して、サイバー攻撃による当該情報の漏洩を防止するための取り組みを促すとともに、文部科学省が支援する」ことを主眼としている、ということでした。

なるほど、そういう最先端の研究施設に対する施策を、「大学等」というひとことで私たちのような「末端」の専門学校にまで広げて適用しようということだったんですね。お達しを出す方は「大学等」のひとことだけでいいですけど、そのひとことで教育現場の末端にいる私たちにはさらに教育とはあまり無関係そうな事務作業がどぉんと増えてしまいます。それでも、うちの学校など小規模ですからまだマシですが、規模の大きな学校現場は大変なことになっているんだろうなとお察し申し上げる次第です。

諸外国でも同様の対策は取られているようですし、その意義はよく分かるのですが、「科学技術競争力や安全保障等に係る技術情報」や「先端的な技術情報」とは縁遠い留学生の語学学習の現場にも、本当にこれらの措置が一律に必要なのかなあと思いました。こういうときは、中国で庶民の人口に膾炙していることわざ“上有政策下有対策”が役に立つのかもしれません。