早朝いつものようにジムでトレーニングをしながらスマホのYouTubeで中国語の講演を聞いていたら、作家の鄭執氏がお父上のお話をされていました。鄭氏ご自身が30歳代なかばですから当たり前といえば当たり前なのですが、父上の生まれ年が私とそれほど変わらないことに軽く衝撃を受けました。
父上は1961年の生まれで、10年ほど前に亡くなられたのだそう。50歳あまりで亡くなったということになりますからまだお若かったんだなあと思いますが、私としては自分もそういう歳ーーお若い方々が故人を偲ぶという文脈で語られるようなーーになっているんだなあという点に妙な感慨を抱きました。
いや、これも当たり前すぎるくらい当たり前ですが、すでにして世の中を力いっぱい動かしている方々は、おおむね私より若い方なんですよね。ふだん本や雑誌を読んでも、動画やテレビを見ても、それどころか通勤時間帯に往来で行き交う人々だって、その大半が私より下の世代の方々です。私はまだ還暦前ですけど、ああこうやって高齢者というカテゴリーに入っていくのだなあとしみじみ思った次第。
思い返せば若い頃、こんな私だって50歳代や60歳代になれば、銀座のお寿司屋さんでカウンターに座ってもそれなりに絵になるような人になってるかしら……などときわめて「しょーもない」夢想をしたものでした。でも実際に自分がその年になってみたら、若い時とちっとも変わらず、貫禄もなければ風格もありません。銀座のお寿司屋さんなんて行ったこともありませんし。
大学生の頃、甲子園で野球をしている高校生をテレビで見つつ、この人たちは自分よりも年下なんだと軽いショックを受けたことがあります。中年になって、中学生の英語の教科書に“My father is forty years old.”という例文があると知って、これまた「自分より年下だ!」と妙に寂しい気持ちになったこともあります。
個々人にとって年齢にさほどの実質的な意味はない、つまり何歳になったからこうである・こうであるべきだ……なんてない、とは思っていても、やっぱりこうやって気にしてしまう。相変わらず自分は「しょーもない」人間だなと思いつつ、これからさらに歳を重ねつつどれだけショックを受け続けるつもりだ自分、と思いました。