インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「老害」を再生産させないために

いまのお仕事が定年になったら、そのあと何をしたいですか。先日トレーニングの休憩中に、トレーナーさんからそんなことを聞かれました。そうですねえ、また海外に留学して大学で学んでみたいです、と答えましたが、そうか、そういうことをお若い方から聞かれる歳になったのか、と思いました。

私が現在メインで勤めている職場は60歳が定年となっています。その後も数年は嘱託という形で働き続けることができますし、2013年に改定された高年齢者雇用安定法で、2025年4月からは65歳定年がすべての企業で義務化されるため、定年まであと数年の私は「すべりこみ」で定年の年齢が繰り延べされるかもしれません。

しかし私としては60歳になったら、仕事を完全には辞めないまでも、ぐっと減らせたらいいなと考えています。蓄えはそんなにありませんから働き続けなければなりませんが、それでももう朝から晩まで、月曜日から土曜日まで(副業があって週末も働いているのです)忙しくしている状態からは抜け出したい。というか、身体的にもう無理です。

それにもうひとつ、仮に身体的にはこれまで同様に働けるとしても、それでも60歳になったら第一線を退いて、もっとお若い方々のサポートに回るべきだと考えているからです。どんな業界でもそうですが、いつまでもステージの真ん中で主役やセンターを張っていてはいけません(もっとも私は、いまですら主役でもセンターでもありませんが)。

いくら能力があっても、60歳なら60歳でスパッと第一線から身を退くのが大切ではないかと思うのです。いやいや、凡人はそうだとしても、特別な才能のある人が60歳で有無を言わさず引退させられたら大きな損失ではないか、とおっしゃる向きもあろうかと思います。しかしそれを言っているからいつまでも「例外」が生まれ、しかもその例外が圧倒的多数に及ぶに至って、世の中に「老害」というものを生み出しているのではないかと思うのです。

先日の東京新聞朝刊に、作家の広小路尚祈氏がこんなコラムを書かれていました。「自称イケオジの98%は勘違い」。そうそう、私たちの年代って、自分はまだまだイケてると勘違いしている方が多い、というか、圧倒的多数なんですよね。だから歳をとってもなかなか身を退こうとしない。

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広小路氏は現在49歳で、ご自身を「老害適齢期」と書かれています。自分はまだまだ「イケてる」と勘違いしていると。私はかつて48歳の時にそれまで務めていた職場を引責辞職することになり、求職活動をしました。そのときの私はまさに自分がまだ「イケてる」と思い込んでいて、いまから考えると恥ずかしさで本当に冷や汗モノですが、いくつかエントリーした会社のいずれからも好反応を得られると自負していました。これだけのキャリアを持つ自分を欲しがらないところなどないだろうと。

それまでにも若い頃から何度も転職をしたことがあって、もちろん首尾よく行かなかった経験もたくさんあったのですが、たいがいはどこからかお声がかかって、なんとか働き続けることができ、それなりにキャリアも積み重ねてきた。だから今回も「楽勝でしょ」くらいに自惚れていたのです。でも結果は、どこも不採用でした。不採用どころか、まったく反応のなかった(返事すら来なかった)ところもありました。自分がすでにそういう年齢になっていたことをうっかり自覚せずに来てしまっていたのでした。

その後私は、ご縁あっていまの職場に仕事を見つけることができましたが、このときの経験はそれまでの職業人生における自分の心性を大きく変えてくれたと思っています。もう自分は人生の下り坂に入っていて、もっとお若い世代の方々にいろいろなものをバトンタッチしていかなければならないのだと強く自覚するようになりました。人生百年時代の到来などと言われているのに、なんとも気の早いことと思われるでしょうか。でもこれくらいの時間のスパンで準備していかなければ、世に再生産され続けている老害を減らすことはできないのではないかと思うのです。

広小路氏は「いつまでも柔軟な考えを持っていられるよう、努力したい」と書かれています。私も同感ですが、ただそれが非常に困難なミッションであることは、自分の周囲(家族、親戚、職場、コミュニティ……)を見回してみれば明らかです。よほど気をつけ、よくよく努力しなければ容易に堕ちてしまうのが老害というダークサイド……であればこそ、制度としてある年齢でスパッと線を引くことはやはり必要なのではないか。その後のセカンドライフをどう生きていくか、その準備をさせるためにも、と思います。