インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

はじめて囃されていると感じた

きのうの日曜日は、趣味のお能の発表会でした。朝から晩までみなさんの発表を楽しみつつ、私も連吟と四つの舞囃子地謡、それに自分の舞囃子高砂」に出ました。会場は青山の銕仙会能楽研修所で、こぢんまりとした会場なので見所(客席)もそれなりに埋まっていて、なにかこう、会場にこれまでに感じたことのないような熱気を感じました。観光客も多い場所だからか、ふらっと立ち寄ってくださった外国人観光客と思しき方もちらほらとお見かけしました。青山のファッションストリートにこんな「異空間」があるなんてちょっと想像できないですよね。

これまでに感じたことがないといえば、私は何度かチャレンジしてきた舞囃子で始めて、お囃子の先生方に「囃されている」感じを味わいました。これまではお囃子の音を懸命に聞いて、舞の型や特に拍子を踏むところを間違えないようにと、そればかりに集中していた感じでした。それがきのうは「高砂」の神舞のところで、お囃子に押されている、つまりは文字通り「囃されている」感じがしたのです。

一週間前に同じ舞台で「申し合わせ(リハーサル)」をやったときよりも、神舞の特に後半がものすごくスピードアップしたような感じがしました。それでもいちおう型や拍子は間違えずに舞い終えることができて、「気持ちいい」と思いました。舞囃子を舞っていて気持ちいいと感じたのも初めてです。

高砂」のような祝祭的な曲はたいがい会の最後にかかることが多いようで、きのうも私がいわゆる「トリ」でしたが、これも不思議にあまり緊張しませんでした。以前にも一度「トリ」だったことがありますが、そのときは最後の最後で自分が失敗して発表会全体をぶち壊しちゃったらどうしよう……などと極度に緊張したものですが。

舞囃子は鏡板の前、囃子座(後座)にお囃子の先生方が陣取り、舞台側面の地謡座には地謡の方々が座ります。その結果、ある先輩によれば、舞囃子を舞っているときにはお囃子のエネルギーと地謡のエネルギーが自分にぶつかってきて、その結果、力のベクトルは目付柱の方向に向かうような気がするとのことです。


▲いつもお世話になっている「the能.com」さんのコンテンツ「入門・能の世界:能舞台」から作成しました。

だから目付柱の存在がその力を受け止めて自分を舞台にとどめてくれているような気がすると。逆に目付柱がなければ力が舞台上にこもらなくなるのではないかと言うのです。これは実際に能舞台で舞ってみると、かなり説得力がある説明です。素人の、趣味のお稽古ではありますが、十年ほど続けてきてようやくこんな感覚を味わうことができました。