インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能「頼政」の地謡

二日間にわたる国立能楽堂での発表会、終わりました。私は一昨日に仕舞二番の地謡舞囃子「呉服」と能「猩々」の地謡、昨日は自分の舞囃子「邯鄲」と、最後にかかった能「頼政」の地謡に出ました。自分の舞囃子はまあ、いちおう型通りに舞うことはできましたが、やはり本番は緊張して、かつ無駄に気合が入りすぎて、やや空回りの体でした。

能の地謡は、さすがに一年以上稽古してきただけあり、また後ろに控えておられる地頭はじめ練達のみなさんの声に支えられて、まずまず謡うことができました。ただ、比較的短めの「猩々」はまだしも、「頼政」で一時間以上舞台に正座しているのは、足がしびれてかなり苦しかったです。

この正座、いつも涼しい顔で舞台に座っておられる玄人の方々によると、それぞれに「しびれ対策」があるのだそうです。扇を置いたり取ったりするタイミングで重ねた足を組み替えるとか、最後に立つときに膝を立てる右足側の足首を左足首に乗せて血流を回復させておくとか……。

私も何度か組み換えを試みて、頼政のキリ(終盤)にかかる前あたりで比較的楽な姿勢を取ることができ、最後はなんとか立ち上がることができました。でも中盤の、特に間狂言(あいきょうげん)が語っている部分は、かなり苦しくて心中不安が大きかったです。

狂言狂言方(きょうげんかた:玄人の狂言師)によって演じられます。通常狂言は、能と能の合間に演じられる滑稽なお芝居という認識が一般的ですが、そのほかにこうやって能にも登場します。いろいろな登場パターンがありますが、間狂言は能の前場後場(まえば/のちば)の間にある中入り(なかいり:シテ=主人公が面や装束を替えるためにいったん退場する)のとき、事の仔細を語ることが多いです。

昨日の能「頼政」の場合は、旅の僧侶(ワキ)が土地の者(狂言方)に「さっき宇治の平等院の前で『自分はこの地で自害した源頼政の幽霊だ』という老人に出会ったのだが」と言うと、土地の者が「私も詳しくは知らないのだが」と言い起きつつ、頼政の故事について語るのです。

……が、この土地の者、かなり細かく事の仔細を語り倒すのです。10分くらい語っていたかしら。その間、正座している私は心中「詳しくは知らないと言ってたじゃん!」とツッコミを入れていました(ごめんなさい)。結局頼政の自害まで語り尽くすのですが、そこに行き着くまでがとにかく長くて、その間ずっと足のしびれを気にしていましたから、ここが一番つらい時間帯でした。

逆にそのあとの後場は一気呵成に進んだような気がしました。最後の附祝言(つけしゅうげん:物語の最後が悲惨なので縁起が悪いため、おめでたい謡の一節を謡って締めるもの)も気持ちよく謡えました。


源頼政 - Wikipedia

しかし今回、しびれとたたかいながら能の全体を間近で見聞きしていて、話の中身が見所(けんしょ=客席)で見ているときとはまったく違う「濃さ」で味わえるものなのだなと感じました。

能はぜんたい、古文で語られ謡われますが、畢竟日本語ではあるので、よくよく聞いていればかなりのところまで内容は理解できます。それが地謡として目の前で繰り広げられる物語を見ながら聞いていると、より容易に理解できると感じたのでした。頼政が自害する直前に詠む辞世の歌「埋もれ木の花咲くことも無かりしに身のなる果ては哀れなりけり」のところでは、私もかなり「ぐっ」と来くるものが。

能は、見ているだけよりもやってみるほうがおもしろい、というのを今回も感じました。